1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報
  4. 防災インタビュー
  5. 災害情報とボランティア
  6. 青葉区の災害医療 ~被災地でのボランティア活動を通して考える~
  1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報

防災インタビューVol.73

青葉区の災害医療 ~被災地でのボランティア活動を通して考える~

放送月:2012年5月
公開月:2012年5月

松岡 誠治 氏

横浜市青葉区しらとり台松岡医院小児科院長、青葉区公衆衛生部部長

プロフィール

私は青葉区しらとり台で小児科医をしており、青葉区医師会では公衆衛生部長の役を務めています。また現在は東北大震災の被災地支援を続けています。被災地支援といっても医師としてというわけではなく、最初は医療活動ではないボランティア活動をしていました。

被災地でのボランティア活動

私自身は今までボランティア活動をしたことがなかったので、大震災直後には何をしていいのかさえ分からず、少し落ち着いてから神奈川県医師会を通じて、日本医師会や神奈川県の保険医療部に医療ボランティアの登録をしましたが、個人が単独で行う医療支援の要請はありませんでした。これは、支援物資が個人から少しずつ提供されるよりも、企業などから同じ物をどんと大量に寄付されたほうが、現場では効率よく配分できたのと同じようなことだと思います。実際に被災地では、統率のとれたチームによる医療が求められていました。災害直後はDMAT、これは災害医療派遣チームの略称ですが、主に国公立病院の医師たちで、訓練を受けた災害医療専門家たちが災害という特殊な環境において、トリアージという救助の優先順位付けをした上で診断治療を行っていました。しばらくして落ち着いてからはJMAT、これは日本医師会災害医療チームの略称ですが、病院単位、あるいは自治体などが医師の他に看護師、薬剤師、事務職員からなるチームを日本医師会に登録して、継続して診療を行っていました。被災地で医療を効率よく提供するためには、いろいろな団体がばらばらに医療を支援するのではなく、日本医師会がまとめ役をしたわけです。医療チームが交代制で継続して6月末まで、避難所の1室などで診療を提供していました。また被災地の医療機関も、被害を受けながらも診療を少しずつ再開していました。

個人での医療支援の要請はありませんでしたが、私は医師という資格を生かした医療支援ができないか探っていました。実業家や芸能人のように大金を持っているわけでもないので、100億円、10億ウォンなどは出せませんし、東北地方に知り合いもいないので、どのようにしていこうかと考えていたところ、地元のタウン紙でボランティアバスの活動を知り、事務局長の秦好子さんに連絡を取り、これに参加させてもらいました。

ボランティアバスに参加して

実は私もいまだに実態をよく分かっていないのですが、中越地震の時に、バスをチャーターして被災地支援をした団体の人たちが「横浜災害ボランティアバスの会」として活動を継続しているということのようです。この団体が「被災地の子どもを支援する神奈川市民の会」という名前で、宮城県気仙沼市の子どもや女性を支援する活動を行っています。支援先として気仙沼市が選ばれたのは、青葉区内のこどもの国で毎年、秋にサンマを炭で焼いて食べるイベントを行っていますが、気仙沼市がそのサンマを無償で提供してくれていたためであると聞いています。

ボランティアバスに参加したのは、とにかく被災地に出掛けて何かをしたかったというのが一番の理由です。それに、被災地では病人は高齢者が多いと予想されましたが、私は小児科が専門なので、普段は高齢者の方の診療をしていません。しかし今回のように支援の対象が子どもということであれば、小児科医としての役割があるのではないかと考えたわけです。また横浜YMCAや横浜市消防局などの人たちが中心となって活動を行っており、支援物資の集積場所がこどもの国で、活動拠点が家から近かったというのも理由の一つです。そしてボランティア活動の経験が豊富な人たちについて行くことで、移動手段や食事、宿泊などのことを考えずに済みますし、さらにはそういったノウハウを学ぶことができるのではないかと考えたからです。

被災地支援のための準備

初めて被災地に行く前に、いろいろ準備をしました。実際、災害医療というのは、いつもやっている診療とは全く違いますので、その場で何があっても対処できるようにしなければならないのは大変なことだと思いながら、出発までの日々をいろいろと過ごしました。取りあえず応急処置の仕方であるとか、PTSD、心的・心の外傷後ストレス障害、災害時、あるいは事件があった場合などのストレス障害についての勉強もしました。また「被災地支援の緊急フォーラム」というのを小児科学会が4月半ばに開いたので、そこで現地で医療支援を経験した医師の話を聞いて、非常に参考になりました。さらに気仙沼市の医師会、保健所などに電話やメールで連絡をして「現場ではどんな医療支援が必要なのか」ということを尋ねましたが、特に要望はありませんでした。このようにいろいろ準備はしましたが、結局のところは、あちらで診療をするという場面はありませんでした。

後になって考えてみれば、震災から1カ月以上が経過して、猫の手も借りたいような忙しい時期は過ぎていて、当てになるかどうか分からないような個人の医者の申し出を頼りにするということはなかったのだと思います。届け出をした今の診療所以外での診療行為がどこまで許されるかというのも分からない状況で、勝手なことをするのはかえって迷惑を掛けることになったのかもしれないと後で思いました。

このように、ボランティアに行くのは初めての経験で不安がいっぱいでしたが、行ってみなければ何ができるかさえ分からないわけで、「現場で考えることの訓練をする」「次回にできることを探ること」を目的としました。何か役に立つことをしたい、力になりたいという思いから参加しましたが、同時に自分たちが被災した場合にはどのようにすべきか、何を備えておくべきかを学べる絶好の機会でもあったわけです。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。