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防災インタビューVol.7

災害情報ボランティアの役割

放送月:2004年10月
公開月:2007年2月

干川 剛史 氏

大妻女子大学人間関係学部 助教授

情報ボランティア

情報ボランティア ISBN:9784872690774 (487269077X)NECクリエイティブ (1998-08-05出版)大月 一弘・水野 義之・干川 剛史・石山 文彦【共著】

私は1995年の阪神・淡路大震災のときに、被災地にパソコンを持ち込み、インターネットを使って必要な情報を現地からあげたり、被災地に届けたりする「情報ボランティア」という活動をやりました。今もずっとそれを続けておりまして、三宅島の被災者への支援活動を継続中です。

阪神・淡路大震災の頃は、今ほどインターネットは普及しておらず、実際にはパソコン通信で発信していました。それでもメールについては、インターネットでも使えました。ですから主にパソコン通信からインターネット、メール、あるいはメーリングリストを使って必要な情報をあげたり、パソコン通信の掲示板に必要な情報を書き込んだりということを行っていました。その他に、被災地に散らばっている情報を掲示板にあげるというような形での活動も行われていました。

当時のパソコン通信の利用者は、日本全体で300万人いるかどうかというのが、統計上の数字でした。実際に阪神淡路大震災のときに、ニフティーサーブという1つの商用パソコン通信システムがありましたが、それを被災者支援で使っていたり見ていた人はだいたい25万人ぐらいでした。今、だいたい7500万人ぐらいのインターネット利用者がいますから、それの25分の1ぐらいの人数しかいなかったわけです。

これまで実際に、インターネットを活用した情報支援活動をしているのは、すべてボランティアです。しかし、これで生活していくわけにはいきません。金にならず、むしろ持ち出しの活動です。その上、24時間体制でやらなければならない活動ですので、みんな一度参加すると、かなり疲弊しきってしまって、次の災害は勘弁してくれというのが実態で、今までずっと続けてきている人間というのは、ごく少数です。

実際に、災害が起きたときに、情報支援活動というのは24時間体制でボランティア活動をするのですが、まずは、だいたい1週間が勝負だと思います。例えば2000年に起きた有珠山の噴火災害がありますが、火山の場合は噴火する前から噴火の予兆が分かりますから、噴火する前から必要な情報を集めます。また、現地の人たちも情報発信していましたので、それをサポートする形で行いました。例えばリンク集などを作って、インターネット上に散らばっている情報を集約して、それを必要な人に届けるというようなことをやっていました。

最近ですと新潟と福井の豪雨水害です。この時も現地のボランティアがインターネットを活用して、いろいろ現地の情報をあげたり、ボランティアの募集とか物資や活動資金の募集などもしていました。その情報を元に現地にボランティアが集まったり、物やお金が集まったりということに役立っていました。

私の場合も、そういうボランティアがあげる情報、行政があげる情報、現地の新聞社などがあげる情報を集約する形でリンク集と言われるものを作り、災害救援にあたる人たちに情報提供するという形でかかわっていました。

もう一つのボランティア元年

兵庫県ホームページ http://web.pref.hyogo.jp/ より

阪神・淡路大震災の時にさかのぼりますが、この時が「ボランティア元年」と呼ばれました。被災地に、約140万人のボランティアが全国から集まって活動したということで、日本にボランティアが広まった突破口になった年ということです。その一方で、インターネットを活用した支援活動というのが始まったのは、この時が初めてでした。私は、その当時は「情報ボランティア」と言われている活動に参加していました。その情報ボランティアの活動が始まった元年、最初の年だったので「もう1つのボランティア元年」と、私が命名しました。

近年の災害ボランティアの活動状況 内閣府『平成18年度版 防災白書』より

情報ボランティアの活動の展開

日本海重油災害ボランティアセンターのホームページ

本格的に現場のボランティアがインターネットを使うようになったのは、1997年にナホトカ号というロシアのタンカーが沈没して、鳥取から秋田まで重油が流れ着き、日本海重油災害というのが起こった時です。その時に現地のボランティアがインターネットで情報発信を始めて、活動に必要なボランティアの募集、活動資金や物資の募集をしたわけです。それが効果を発揮しまして、たしか27万人ぐらい現場にボランティアが集まり、いろいろな物資も集まりました。それが現場のボランティアが最初にインターネットを活用した出発点です。

その次の年の1998年は水害の年で、栃木と福島で大きな水害が起こり、その時もボランティアの全国ネットワークというのが立ち上がっていましたが、その人たちがインターネットを使って現地の状況や、先ほどのようなボランティアの募集、物資の募集をやっていました。

その後すぐに、高知でも水害が起こり、私はその災害にかかわりました。当時、私は徳島大学の教員をやっていまして、自分の教え子に高知出身者もいましたから、インターネットを使って後方支援という形で現地の救援活動などをサポートしていました。

1998年の高知豪雨水害の水没地域の航空写真

それが1998年のことで、次の1999年もまた広島で水害が起こりました。私も現場に行って、インターネットで情報を発信している人をサポートしたりしました。それと同じ年に、海外で大きな地震がありました。トルコと台湾の地震です。これは神戸のNGOの人たちと、国連の組織などが一緒になって支援委員会を立ち上げました。ここでは、私は、現地に救援活動で入る人たちと、日本国内の委員会のメンバーの間にインターネットで情報網をつくるという形で支援をやっていました。

インターネットの発展とともに

有珠山ネットのホームページ http://www.usuzan.net

阪神・淡路大震災の当時はパソコン通信ができる人は、ごく限られた情報ボランティアしかおらず、現場のボランティアも被災者も行政の救援に当たる人たちも、ほとんど使えず、パソコン通信をやるのはかなり少数派でした。

その後に2000年の有珠山の噴火災害というのがありましたが、このときは避難所に被災者が使えるように、インターネットを使えるパソコンが配備されました。東京大学社会情報研究所の廣井研究室の調査によると、被災者の15%ぐらいの人が実際にそれを使っていたということです。また、それを使えるように現地でサポートするボランティアもいました。

その後、2000年になって三宅島の噴火災害がありますが、これは現地で日ごろからパソコンを使っている民宿経営者の方とかが自ら情報を発信していました。その時以来、災害が起こると被災者自ら情報発信をするというような形にもなってきました。それまでは情報ボランティアしか使えなかったのが、97年の重油災害から一般のボランティアが使えるようになり、2000年の有珠山で被災者が独自に使えるようになりました。そんな形で日本全体の情報化が進展するに従って、使う人が拡大していった、多様化していったという流れがあります。

総務省『平成18年度版 情報通信白書』より

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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