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防災コラムVol.232

東日本大震災の過酷な現場に挑んだ活動報告(石巻市での活動編)

公開月:2006年8月

2011年7月6日

『東日本大震災の過酷な現場に挑んだ活動報告(準備編)』に続きNPO法人国際ボランティア学生協会(IVUSA)が、実際に石巻市で行った活動についてお伝えする。(準備編については、文末のリンク先を参照)

【寄稿】IVUSA活動報告

輸送した救援物資を人力で運び出す(宮城県石巻市)

3月14日トラック3台は、水が保管されている埼玉の倉庫で、水を積み込み出発し、長岡で救援物資やガソリンを積み、十日町市で食材を積んだトラックと合流した。東京、新潟から合計7名が出発し、翌16日に石巻市に到着した。すぐさま、避難所への救援物資の配布、炊き出しの準備を行う。当初、石巻専修大学の避難所での炊き出しを予定していたが、避難所には1000名を越える被災者がおり、用意した食材800食では全員に行き渡らないため、急遽場所を石巻市大街道のスーパーマーケットの駐車場に変更して実施した。豚汁やご飯が出来る頃、周辺の住宅に炊き出しを行っていることを大声でアナウンスをしたところ、この場所は大通り沿いでもあったことから、周辺の住民以外の人たちが徐々に集まり、いつのまにか長蛇の列となっていた。この列では「あんたも無事だったの」と、互いの安否を確認し抱き合う被災者の姿や、「被災以来、初めて暖かいものを食べた」という人もたくさんいた。また、中には「もう一杯、いただけませんか」という大柄の人もいたが、長蛇の列ができている状況下では、残念ながら「一人一杯でお願いします」と言わざるを得なかった。まさに災害現場である。

この日の活動を終え、宿舎として提供いただいた卒業生が勤める株式会社カーブスジャパン(フィットネスクラブ施設を運営)の事務所へ向かい休むことにした。1階は津波で被災し、電気もガスも水道も使えないが、津波の被害を受けなかった2階を使わせてもらった。ところが、全員、東北の寒さをなめていた。全員が凍死をするような寒さを体験したようで、メンバーが帰京して最初に準備した2次隊以降の装備は、石油ストーブや寒冷地仕様のシェラフだった。

なお、IVUSAでは被災地への対応を行いながら、同時に街頭募金を行った。3月16日から関東地区(新宿・八王子・池袋・町田・横浜・新橋・品川等 )、関西地区(京都・梅田・四条・西院・山科等)で延べ40回以上行い、道行く人に、大声で募金を呼びかけた。発災直後は、多くの人たちが募金を行ってくれたのだが、時間の経過と共に減少していく協力者。この現実を学生たちは目の当たりにした。それでも、募金総額 3,491,168円を日本赤十字社に送金した。

第2次隊は3月19日に帰京したスタッフに卒業生が加わり11名の隊として、前回同様、新潟経由で物資の積み込みを行い3月22日(火)~26日(土)まで宮城県石巻市、南三陸町において、救援物資の輸送、炊き出し(豚汁・ご飯2,000食)を行った。また、自衛隊の救援物資備蓄基地から、各避難所へ救援物資の配送も行った。この隊には、IVUSAの理事であり、阪神大震災の救援活動にも参加した卒業生がドライバーとして参加してくれた。また、この隊には、ヨルダンで研究活動を行っている卒業生が帰国し、そのまま参加した他、この3月に卒業したばかりの卒業生も参加し、中には震災で入社式が延期になった者もいたが、初動の動きに卒業生が果たした役割は大きかった。

一旦帰京したメンバーは、中1日で第3次隊として3月28日(月)~4月1日(土)まで、宮城県石巻市において16名で活動を行った。この時期から、これまでの救援物資の輸送、炊き出し(豚汁・ご飯2,500食)に併せて、復旧活動となる倒壊家屋の片付けを行い、また岩手県の大槌町社協から、ヘドロの掻き出しに関する指導をして欲しいという要請を受け、IVUSA危機対応研究所の宮崎所長ら3名が大槌町を訪問して指導を行った。ここでも、宮城県出身の卒業生が参加した。

被災地に向かう東北自動車道では、福島県に入ると地震の影響で、道路が隆起したり、陥没、ひび割れしたりといった地震の被害が顕著になっている。救命・救援活動から復旧活動に移行しつつあった3月下旬から4月上旬、IVUSAは4月4日(月)~4月8日(金)まで、第4次隊を宮城県石巻市に学生を中心とする55名を派遣した。この隊と5次隊の移動のバスは、国士舘大学から提供いただき、救急救命士を目指す同大学生20名も参加した。

ベースキャンプは石巻専修大学のグラウンドにテントを張って設けていたが、ここでも朝晩は氷点下となり、テントや外に出しておいたダンボールが凍るなど、寒さで眠れないという声も上がっていた。被災者からは、被災した当日、着の身着のままで逃げた避難所では、寒さに耐えきれなくて亡くなった人がたくさんいたと聞かされた。

石巻ボランティアセンターでは、過去の災害現場でIVUSAとともに連携した顔見知りの団体・個人が多く活動していた。それぞれ特色を活かして活動を行っており、ボランティアセンター主催で、毎日夜7時から全体ミーティングを行い、その後、各部門別の会議が行われた。その中で、IVUSAはマンパワーを必要とする「マッド・バスター(へどろかき)」チームに所属した。その他、「情報収集チーム」「医療チーム」「炊き出しチーム」「救援物資輸送チーム」「ペット支援チーム」等々のチームがあり、これらを社協が支援するという、先進的な取り組みが行われていた。

これまで、様々な被災現場で活動してきたが、これほど機能しているボランティアセンターはなかった。この頃すでに、ボランティアを1日1000名以上受け入れる体制が整っていたのだ。これらが機能しているのは、災害現場での活動経験が豊富な団体や個人が集まったこと、ボランティアセンターが現場経験のあるボランティアに現場を任せ、動きやすい環境作りを行ったこと等が挙げられるが、何といっても、被害が甚大であるということが様々な組織を結束させたのだろう。

舞台は石巻市から気仙沼市へ

屋外で炊き出しの準備をするIVUSAの様子(宮城県石巻市)

以上、IVUSAの石巻市での活動についてお伝えさせて頂いた。次回の最終回では、気仙沼市での活動についての報告をお伝えする。

 

(監修:レスキューナウ 文:国際ボランティア学生協会)

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