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防災コラムVol.175

有珠山噴火から10年、次の噴火まで10年?

公開月:2010年1月

2000年3月31日、北海道の有珠山が噴火。このとき、「被災地の市民による市民のための情報発信」という、インターネットによる全国的な情報ボランティアネットワーク「有珠山ネット」が誕生した。その代表でもある、ジャーナリスト・冨田きよむが、有珠山噴火を振り返る。

有珠山ネットとFMレイクトピア

月日の経つのは早いものだ。中学生だった息子が24。かくいう私も頭髪がぐんと減り、ベルトの穴の位置も2つほど増えた。

今、有珠山を離れ東京に出稼ぎにきているのだけれど、有珠山で食い詰めたようなものだ。しかしそれは私個人の話であって、地元の人みんなというわけではない。噴火前と噴火後、地元はほとんど変化していない。20年から30年に一度の割合で噴火活動を繰り返している火山の麓に住んでいながら、いや、だからなのかもしれないけれど、噴火はすでに過去のものになっている。

有珠山ネット(筆者運営のインターネットによる全国的な情報ボランティアネットワーク)はネット上の空間だから、次に何かあったらすぐさま復活するのは造作もないことだ。これはインターネットの大きな利点。維持するのにお金はほとんどかからない。全国の心ある人が、自宅ですぐさまスタッフとして支援できるからだ。次の噴火の時はもっとうまくやれるだろう。

災害当時には書けなかったことだけれど、住民に最も近い噴火災害対策であったFMレイクトピア(災害対策FMラジオ)を続けられなかったのが、実に悔やまれる。続けようと思えば続けられた。地元の仲間数人で知恵を絞り、あちこち交渉を重ねるなどしてかなり頑張ったけれど、ついに存続させることはできなかった。

災害時に有効なメディアはラジオだ

1663年から今まで7回噴火しているといわれている、活火山・有珠山。北海道にあり、洞爺湖の南に位置する。

カーラジオから流れてきたFMレイクトピアの第一声を聞いたときは、市民ラジオの可能性と力をひしひしと感じたものだった。

水害や震災のように比較的短期間で収束する災害の場合はともかく、噴火災害は半年以上、三宅島のように10年も続く災害(島民は帰島しているが、火山ガスは今も放出されている)もある。長期化する災害の場合、住民をしっかり結びつけ、情報の出入り口になるメディアが必要だ。そのメディアは、誰もが簡単に使えることが必須条件となる。ラジオはその意味で最も優れたメディアの一つだ。

しかし、地元行政の協力は一切得られなかった。

維持経費は、人件費を入れても年間たかだが1,500万円ほどだが、この月約100万円が捻出できなかったのだ。己の無力をこの時ほど呪ったことはなかった。

災害時は、日常的にあるメディアが最も有効な情報伝達手段になる。阪神淡路大震災のときにできたFMわぃわぃは、今も立派に活動を続けておられる。有珠山の噴火は、私の人生で最低あと1回、ちゃんと節制して長生きすれば2回発生する可能性があるにもかかわらず、FMレイクトピアを続けられなかった。しかも次の噴火は、火山専門家である宇井忠英先生などには笑い飛ばされるけれど、左回りに噴火口が回って来ているので、私の自宅側に近づく可能性が強い。旧虻田町と伊達市の境目の沢筋が怪しいと、地元ではささやかれる。万一ここが噴火すると、国道37号線、道央自動車道、室蘭本線のすべてが最低半年単位で使えなくなる。幸いに北海道新幹線が本当にできれば、そのルートは大きく外れ、影響はないけれど。噴火する場所によっては、地域が分断されるだけでなく、北海道経済にも深刻な影響が出る。

この時、身近なラジオがあったらどれほど力を発揮することだろう。すでに時代が変わってインターネットで何でもできるのかもしれないし、携帯電話のキャリアも決して輻輳(ふくそう)などしなくなっているかもしれないが、残念ながら電話線とか光ファイバーが復旧するまでの間インターネットは使えないし、携帯電話の電波には限りがある。

専用の周波数を確保できる地元ラジオこそ威力を発揮できる媒体なんだがなあと、悔やまれてならない。

被災地の意識の変化は…!?

2000年当時、有珠山ネットの本部には常駐のスタッフはいなかった。しかし、お助け隊なる人々がいつも集まって作業をしていた。

伊達市は次の噴火を見据えて、「歴史の杜公園」を整備して噴火の時の避難施設にしようと今年度予算に調査費計上した。壮瞥町は町長の見事な判断で合併せず、宇井先生、岡田弘先生(ともに北海道大学名誉教授)らとエコミュージアムを作って研究啓蒙活動を継続的に行っている。ところが、10年前の噴火で最も大きな被害を受け、次もそうなるであろう旧虻田町(今は合併して洞爺湖町)は、噴火口に木道と駐車場を整備して観光施設を作っただけだ。

このように「箱」にはお金が使えるのだ。作った箱を維持するためのお金も出てくるのだ。だったら、ラジオ位できないはずはないのだけれど、と、思うのは政治力のないもののたわごとなのだろうか。残念だけれど、前回(1977年)同様、今回(2000年)の噴火後地元の意識はほとんど変化していない。噴火対策予算で地元建設業者が一息ついただけだ。その一息ついた建設業者も今や半分ほどが虫の息。

有珠山は、20世紀の100年間だけでも4回噴火した世界的に見ても非常に活発な火山だ。しかも、麓には5万人が暮らし、直下に温泉街もある珍しい火山でもある。

噴火10年を迎えて、もう少しいいことを書こうとかなり努力したのだけれど、こうして東京に身をおいて客観的に振り返ると、虚しさだけが残る。書いてはいけないことかもしれないけれど、いわゆる「民度」の差が、阪神淡路との差だなあ。

(監修・レスキューナウ 文・ジャーナリスト/有珠山ネット代表 冨田きよむ)

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