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防災コラムVol.103

見えない国「ミャンマー」 その2(ミャンマーの国内事情)

公開月:2006年4月

サイクロンの被害を受けたミャンマー。厳しい国内事情における人々の様子を取材した。

避難施設や仮設住宅は建設されたが…

川から見た避難施設。わずかの増水で水没するのは明らかだ。

「ミャンマー政府は、被災地に支援など一切していない」。そういう批判が沸き起こっているので、それを気にしてか、政府は被災地に避難施設めいたものを作った。

国営テレビで、その様子を誇らしげに放送していたのを観て、ウソだとすぐにわかった。
なぜなら、通常、被災者が避難施設や仮設住宅に移るときには、多かれ少なかれほっと安堵した顔をするからだ。少なくとも無表情というのはありえない。

ところが国営テレビに映し出された顔は、無表情で、どちらかというと嫌々そこにいるという感じだった。

これは、避難施設や仮設住宅が建設されている場所が川と同じ高さか、下手すると川よりも低いところだったからではないだろうか。つまり、サイクロンで被害を受けた住宅のすぐ脇に建設されているからではないかと考えた。これは、ミャンマー南部のデルタ地帯における道路インフラが極端に遅れており、資材を陸上輸送するのが不可能であるため、船で輸送可能な場所を選んだことが要因として挙げられる。

しかし、被災者に安堵の顔が見られないのには他の要因があることが分かった。それは、この避難施設や仮設住宅に移るためには3年以内に600ドルを支払わなくてはならないことだ。

今とさほど変わらない場所と建物に、なぜ600ドルもの大金を支払わねばならないのか。しかも、この地域の平均所得は月当たり20ドル以下である。
どこをどう叩いても600ドルものお金を3年間で作れるはずがない。

当然のことながら、この避難施設や仮設住宅に移った人は誰もいない。移りたいとも思っていない。このような全く無意味な「支援」は、残念ながらミャンマー国民のためではなく、ミャンマー政府が外国に向けたプロパガンダだといわれても仕方がなかろう。

人身売買から子供を守れ!

現場に配属されたSave the childrenのスタッフ

哀しいことで、実に腹立たしいことだが、大きな災害や紛争があると必ず孤児が発生し、いつの間にか消えてゆく。

死んでゆくのではなく、連れ去られるケースがほとんどだという。ミャンマーでも、タイや中国との国境付近では日常的に子供の誘拐が発生している。

それを防ぐ目的で、「ユニセフ」や「Save the children」が活動を始めていた。

ミャンマーの寺院では、「Save the children」本部職員から訓練を受けているミャンマー人の学生がボランティア活動を行っていた。これは、外国NGO職員が直接被災地域に入ることが禁じられているため、ミャンマー人を訓練して現地に送り込んでいるのだ。ボランティアスタッフは全員若く、はつらつとしていて、何より自分たちの任務をよく理解していた。

厳しいトレーニングでも笑い声は耐えなかったが、残念ながらトレーニングの様子を取材することは控えた。筆者であれば、当局に捕まっても国外退去命令を受け、帰国してしまえば済む話であるが、彼らはこの国の国民である。万が一にでもその身に何かあったら責任の取りようがないからだ。

ボランティアスタッフの仕事は子供のケアだというが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)について全く知識がなかったのには少し驚いた。
ただし、デルタに暮らす子供にとって、水害は日常茶飯事であるため、ストレスからくる子供の症状は皆無だという。

ミャンマーに平和はいつ来る?

ヤンゴン市内では、レストランも頻繁に停電する。

レストランの従業員はもちろんのこと、客もすっかり停電には慣れてしまっているようで、真っ暗になっても慌てる様子はなかった。従業員は手馴れた様子で火が灯ったろうそくをテーブルに配っていた。すると、レストランの経営者が近寄ってきて、「外国からですね?民主化されたらこういうことはなくなりますよ。」とニコニコして話しかけてきた。

被災地の中では最も大きな町のある家に泊めていただいたが、このお宅では発災後3ヶ月間、電気は止まったままで、井戸水をくみ上げるときにだけ発電機を回したという。

「発電機がよく売れますよ」と、中国製の発電機「ミツシバ」を指差した。この家では農機具を手広く扱っている店舗を経営しているので、予想外の需要でいい稼ぎができたそうだ。

「電気はいつ直るの?」と聞くと、やはり、「民主化されたらすぐに来るさ。」と笑いながら応えた。

社会的インフラのすべてがイギリスの植民地時代のまま、手直しせずに使い続けているのだ。当然耐用年数などとうに過ぎている。

現在、ミャンマーは軍政国家だ。人々の自由は極端に制約されているので、息苦しいはずだと思って出かけた。確かに公安に尾行されたり、逮捕寸前まで追い詰められた。しかし、そこで暮らす人々は明るかった。ヤンゴン市内でも、田舎でも、人々はみな旅人にやさしかった。「喉は渇いていないか?」と何度も聞かれ、その都度、いささか甘すぎるお茶をいただいた。

若者もみな元気だった。よく笑いよく動いていた。

衛星テレビのアンテナも信じられないくらいたくさん家々の屋根にくくりつけられていた。サッカーやCNN、日本の歌番組と韓国のドラマを観るのだという。

エーヤワデイ川を南に下る船内で、「涙そうそう」と「北国の春」が何度も流れた。通訳に聞くと、「今、ミャンマーで一番はやっている歌だ」という。

日本を遠くはなれ、外国人入域禁止区域のデルタ地帯で聞く「涙そうそう」を小さな声で歌った。ミャンマーに真の平和が訪れることを願いながら。

(監修:レスキューナウ)

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