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防災コラムVol.75

災害を記録しよう

公開月:2006年3月

誰もがインターネットで情報を発信できる時代となった。災害時に撮影した写真を公開したり、情報を流す際にどのようなことに注意すればよいのだろうか。

復旧復興に寄与する取材・伝達

被災地に入るとそのあまりのむごたらしさに足がすくむのは、報道関係者も同じことだ。被災者に声をかけようにも、何と切り出していいのかベテランの記者でも悩む。報道機関の場合、被災地を客観的に取材しその状況を広く伝達することは、被災地の復旧復興に大きく寄与する。市民の情報発信もそれに劣らないくらい大きな意味を持つ時代になった。ミャンマーでカメラマンの長井健司さんが取材中に撃たれた瞬間もインターネットを通じて発信された。大きなマスコミに負けない力を、インターネットとそれを利用する市民が手にしたということだろう。今回は被災地の情報を発信する時の一般的な注意点について解説する。もちろん全体を統括するルールは現在のところないため、あくまでも一般論である。平常時に考えておくことも、いざというとき役立つはずだ。

パレードやデモに肖像権なし

子供の顔の撮影は控えた方がいい

肖像権をめぐっては議論や判例が多数あり、一概に論じることができないが、カメラマンは現在下記のような基準であろうということで仕事をしている。日本の法律に肖像権という言葉はなく、憲法13条で保障されている「個人の私生活を守る権利」のひとつだとの解釈を法的根拠としている。いくつか判例もあるが、ここでは結論についてだけ解説する。

「人は他人から無断で写真を撮られたり、撮られた写真が無断で公表されたり利用されたりしない権利」(日本写真家協会の著作権委員会のサイトから)を肖像権と定義。「私的な生活をみだりに公開されない権利」「自己の情報をコントロールする権利」に代表されるプライバシー権の一種と解釈できる。レストランや家庭、室内での私的な時間について肖像権は守られるべきだ。しかし、パレードやデモ行進、あるいは祭りのみこしなど公の場所で公然と行われる活動は不特定多数によって撮影され公表されることが事前に明白に予測できるため肖像権は発生しない。撮影されるのが嫌ならば参加しないという選択肢もあるからだ。

災害取材時の肖像権>プライバシー

身近な被災の状況を自然に撮影しよう

法律に肖像権という言葉がない以上、明確な定義や基準もないため、その都度判断を下してきた。日常的に肖像権問題にさらされている日本写真家協会では、それでは問題があるとして過去の事例や諸外国の判例などを参考に次のようにまとめた。

「その表現行為が社会の正当な関心事であること、その表現内容、表現方法が不当でないことの二要件が整う時、無断で撮影したり写真を利用しても肖像権の侵害には当たらない」

端的にいうと、災害という社会的に強い関心があり、被災状況を広く市民に伝えることは大きな公共的価値がある行為である。このようなときにはプライバシー保護よりも「表現の自由」「報道の自由」「知る権利」が優先されるということだ。

情報の出し方・受け方

前項で言わんとした「正当な方法での発表」とはどのようなことか。私たちは表現の自由が保障されているとはいえ、何をやってもいいのかというとそうではない。まず、災害情報はどこの誰が出しているのかを明示しなくてはいけない。情報を出す人の住所や氏名(団体名)、連絡先は最低限分かりやすい場所に掲示しよう。災害についていうのであれば匿名の情報には残念ながら価値はない。情報に接する側もどこの誰が出している情報なのか厳しく吟味しなくてはいけない。出所の不確かな情報はどれほどのインパクトがあろうとも信用するに値しない。どうしても住所・氏名をネット上に出したくない場合は、災害情報サイトを運営するレスキューナウや防災ボランティア組織に連絡し、掲載を依頼するといいだろう。しかし、この時もネット上には出さなくても、情報提供者の住所・氏名・連絡先は確認されるのは当然のことである。人の生命に関することだけに、いい加減な気持ちで取り組んではいけない。

次に、不必要に詳しい情報を出すことも避けるべき。例えば道路であれば「東京都品川区東五反田国道1号線付近」のように国道何号線のどこどこ交差点付近程度でよい。同時に、個人が特定できる自動車のナンバープレートや個人情報が書かれた郵便受けなどは写してはいけない。撮影しても発表前に該当部分にモザイクをかけて判読不能にするべきだろう。

災害情報組織の活用を

自分が人にやられたくないことはしないのが最低限のエチケットである。不幸にして大きな災害に遭遇した人は、本人の意思に関係なく、「表現する側」「伝える側」に回ってしまうということは、私自身2000年3月の有珠山噴火の時に思い知った。もともとカメラマンだったにしても、当事者になった経験はなかった。この時、「有珠山ネット」という市民による災害情報の発信ホームページを作ったが、かなり大きなエネルギーを要した。ある程度以上に訓練を受けた私でさえしんどかったのだから、普通に暮らしている人にはかなりしんどいことだろう。しんどい思いをしてまで情報を出さなくてもいいということではなく、しんどい思いを肩代わりしてくれる災害関連の組織には、先にあげたレスキューナウや「NHKボランティアネット」、NPO法人「東京いのちのポータルサイト」などがある。そうしたところは広く市民からの災害情報を求めており、それを世の中に出すチャンネルも持っている。マスコミは災害が収まればさっさと撤収する。ところが復旧復興作業はマスコミが去ってから本格化するのだ。この時こそ市民の出番だといえる。継続的に情報を出し続けることは市民にしかできないといっても過言ではない。インターネットを有効に使いたいものである。

(監修:レスキューナウ 文:ジャーナリスト 冨田きよむ)

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