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防災コラムVol.43

避難生活で注意しておくことは何だろうか?

公開月:2006年2月

大災害時における避難所の様子を理解して、「もしもの時」に備えよう。

50日間の避難生活

2004年10月23日、新潟県中越地域を川口町を震源とする最大震度7の地震が襲った。私が居住する田麦山地区はのどかな山間部であるが、約170戸のうち、9割以上の家屋が全壊した。被災後、地区の中心部に位置する町立田麦山小学校での避難所生活は約50日にわたった。今回は被災体験に基づいた避難所生活の注意点をお伝えしよう。

たまる一方のストレス

避難時は学校の体育館で寝泊り

被災直後に全地区の住民約500人が避難したが、最初の1週間は学校のグラウンドでテントを張って過ごした。この避難生活では今までに経験したことのない不便さと精神的ストレスを感じた。いつ来るのか分からない強い余震への恐怖心。10月も末となる中で感じた寒さも恐怖心を増加させた。寝泊りする場所が小学校の校舎内に移っても、プライバシーのない長期の集団生活に対してストレスはたまる一方だった。

生活面ではその日その日の食べ物の調達、家屋の復旧作業などに追われた。避難所では施設についての問題を地区内で解決することが求められた。手や顔などを洗う際に使う水を運ぶ作業、陥没・隆起した道路を車両が通行できるように整備するほか、暖をとるためにまきの調達も行った。大勢の人と過ごすことで多くの人が心強さを感じていた時期でもあり、地区全体が協力しながら家族全員の生存に対する喜びを感じていた。

しかし、被害状況が明らかになるにつれ、今後の生活に不安を感じ、地区の存続さえ疑問視する声まで出てきた。ちょうど、田麦山集落の一つである小高部落が危険地域に指定されたために集団移転を決めた時期だった。

たき火はコミュニケーションの場

避難所には地域の人が押し寄せた

そうした逆境にあっても、いくつか今後の大災害の教訓となることがあった。まず、長岡という土地柄、寒さ対策には神経を使ったが、他の地域においても精神的にも不安を倍加させる寒さへの対策は欠かせないだろう。風を通さないウインドブレーカーや雨カッパなどを使えば効果的に保温できる。また、たき火は自然と暖を求めて火の周りに人が集まってくるため、コミュニケーションの場となる。単に情報交換の場ではなく、おしゃべりを通じて不安が和らぐのである。たき火に必要なまきの調達も、大勢でやることで一体感が生まれた。

たき火以外では、ブルーシートや発泡スチロールが役に立った。これらを床に敷くなどして活用したことで体温の放出を防ぎ、病気にならずに済んだという声を聞いている。

全員態勢が生んだ自覚

避難所の運営は地区の全員が中心となり協力体制などの決まりごとを確立したこともあり、各集落の避難所では連絡事項や支援物資、食事の配給をスムーズに行うことが可能となった。「全員態勢」は共有場所の衛生についても適用した。自覚を持ってもらう意味でも、トイレや手洗い場などの共有場所の衛生は全員で管理した。

大きいボランティアの存在

精神的ストレスの解消には、ボランティアの存在が大きかった。彼(女)らの活躍で避難者同士がスムーズにコミュニケーションできるようになったり、落ち込みがちな被災者の話を献身的に、根気よく聞いてくれるだけで復興への意欲をかきたてられた人は少なくない。プライバシーの確保については、大広間ではダンボールなどを使って簡易的な壁を作り、個々のエリアを作り出した。これによって精神的な安定がもたらされた。

きずなは復興へのアクセル

新潟県中越地震は集落の点在する中山間地域での大規模災害であったが、最も大切なコミュニティーの保持や、被災直後の生活に直結する飲料水・食糧の確保は比較的容易にできた。また、地域住民の団結心や地元への愛情の深さ、そうした精神的きずなは早期復興へのアクセルとなった。さらに、被災者とボランティアとの出会いを通じて地域の素晴らしさを再認識することができ、復興へ思いを強くした。これまで見てきたような避難所生活での苦労や工夫を通じて、今後の役に立つならば幸いである。

(監修:レスキューナウ 文:「いきいき田麦山」交流部部長 渡辺裕伸)

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