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防災コラムVol.11

コミュニティFM局の役割

公開月:2006年1月

現地からの情報発信で注目を集めているコミュニティFM局とはどのようなものだろうか。

全国に200局近く

コミュニティFM局は半径10~20キロ程度を受信エリアとする地域限定の放送局で、平時は地元の身近な話題や音楽、地震などの災害時は地元密着の細かな情報を流す。新潟県中越地震では被災地・長岡市の「FMながおか」は、食糧や生活用品の供給情報、開設されている避難所の情報や風呂・美容室の情報などを24時間体制で放送し、住民の大きな力となった。

コミュニティFM局は1992年に市区町村単位の地域を対象として制度化され、15年目を迎えた2006年、全国各地に197局(9月時点)が開局している。コミュニティFM局が災害時にどのような役割を果たすのか。また日頃、防災に向けてどのような取り組みをしているのか、阪神・淡路大震災をきっかけに誕生した神戸の「FMわぃわぃ」、防災対応に力を入れている「ならどっとFM」のケースをもとに見ていきたい。

阪神・淡路大震災が生んだ多言語FM局

神戸市長田区にある「FMわぃわぃ」は現在、10種類の言語で放送を行っているコミュニティFM局である。多文化、多民族共生を目指したその活動は、小学生からお年寄りまで多くの市民ボランティアの手によって支えられている。

FMわぃわぃは1995年1月17日の阪神・淡路大震災をきっかけに誕生した。震災の被害が大きかった地域の1つである長田区は、人口の約1割を在日韓国・朝鮮人が占める。その多くは全国一の生産を誇っていた地場産業のケミカルシューズ・メーカーで働いていた。だが、震災により多くの人が亡くなり、また自宅や勤務先が倒壊したため、住むところと職場の両方を一度に失った人も数多くいた。

多言語放送を行ってきた「FMわぃわぃ」のスタジオの外観。現在、社屋改装工事にともない、スタジオは別の場所に移転

こうした中、当時、大阪市生野区の鶴橋周辺で韓国・朝鮮語のミニFM局サラン(韓国・朝鮮語で「愛」)を運営していたメンバー数人が救援活動のため震災の2日後に長田区内の在日本大韓民国民団兵庫県本部西神戸支部を訪れ、被災者に必要な震災関連情報を提供するミニFM局の立ち上げを提案した。そして1月30日にミニFM局ヨボセヨ(韓国・朝鮮語で「もしもし」)が、民団西神戸支部内にある神戸韓国学園の一室で、手作りの放送機材によって開局した。韓国学園の教員や生徒らのボランティア・スタッフが1日3回、韓国・朝鮮語と日本語による震災関連情報や韓国・朝鮮の音楽を放送した。

また長田区には定住難民として日本で暮らすベトナム人とその子弟が数多くいた。彼らも同様にケミカルシューズの工場で働いていたが、震災で多くの人が公園などでの避難生活をしていた。

震災後、長田区のカトリック鷹取教会内に、全国各地から集まったボランティアが救援活動を行う「たかとり救援基地」(現在はNPO法人たかとりコミュニティセンター)が設けられたが、その中に被災ベトナム人救援連絡会(現在は「NGOベトナム in KOBE」)が誕生し、ベトナム人への救援活動を展開した。ここに民団西神戸支部の災害対策本部から3月に、FMヨボセヨの中に放送枠を設けて、ベトナム語で震災関連情報を提供してはどうかという提案があった。

これを拡大し、ベトナム語以外にスペイン語、タガログ語、英語、日本語を加え、震災関連情報や音楽を放送するミニFM局ユーメン(ベトナム語で「友愛」)を、FMヨボセヨ、FMサランの協力を得て「たかとり救援基地」内に立ち上げることになり、3月28日に試験放送を開始。4月16日に開局した。

そしてコミュニティFM局へ

FMヨボセヨとFMユーメンの誕生は、震災ボランティアが在日外国人被災者に必要な情報を多言語で配信する放送局として、多くのマスコミで報道された。だが両局が目指したのは、震災情報を多言語で被災者に配信するだけでなく、長田区で多文化、多民族共生のための街づくりをすることだった。両局のスタッフは4月以降、目標実現に向けて動き出した。

FMヨボセヨのある韓国学園が、夏から改修工事で放送施設として利用出来なくなるため、同局とFMユーメンが合併し、「たかとり救援基地」を拠点に新しいミニFM局を立ち上げることになった。新しい局はヨボセヨとユーメンから頭文字のYをとり、また多くの人で賑わうイメージから「FMわぃわぃ」と名付けられ、7月17日に誕生した。

そうした中、郵政省近畿電気通信監理局(当時)から、ミニFM局ではなく、一定出力の放送が可能なコミュニティ放送局として認可を得るよう要請され、7月から放送免許取得に向けた準備がスタートした。

ただ当時、コミュニティFM局の開局にかかる費用は数千万円といわれており、必要な資金確保が大きな問題だった。しかし、多くの支援者からの寄付で開局資金2000万円を確保し、これをもとに放送スタジオを自分達で建設し、設備や備品も可能な限り民生用の機材で集めた。必要な申請書類をスタッフが手分けして作成するとともに、12月にコミュニティ放送の認可に必要な株式会社化を行った。こうして震災から1年後の1996年1月17日、FMわぃわぃはコミュニティFM局として正式に開局した。

市民ボランティアが支える震災番組制作

FMわぃわぃでは毎年1月17日に震災をテーマにした特別番組を放送しており、開局2周年の日には、特別番組「あれから3年」を全国のコミュニティFM局82局をネットして放送した。また兵庫県の独立U局のサンテレビと共同で、「癒し、そして…」という番組をテレビ、ラジオで同時生放送した。またこの時から一部の番組をインターネットで配信することも始めた。この1998年は放送批評懇談会から「ギャラクシー賞35周年記念賞」を、全国コミュニティ放送協議会から「The Best Station 1998」を贈られるなど放送業界内でFMわぃわぃの活動は高く評価される存在となった。

1999年10月の台湾大震災の際は、現地のNPOから送られた震災情報を翻訳して、日本からインターネットを通して6カ国語で、現地で被災したフィリピン人、ブラジル人などの外国人向けに配信した。こうしたFMわぃわぃの活動は、震災時の情報提供を原点にして、多くの多国籍の市民ボランティアによって支えられている。

ならどっとFMの災害放送ボランティア

「ならどっとFM」のスタジオ内の様子。コミュニティFM局の多くは、こうした簡単な設備で放送が行われている

もう一つの「ならどっとFM」の災害放送ボランティアについても紹介しておこう。奈良市にある同局は、1995年7月に発足した奈良コミュニティFM研究会が母体となっている。ここがコミュニティFMを活用した防災や地域情報の発信などをテーマにシンポジウムを開催して、開局に向けた準備を進め、1998年の奈良市制100周年記念イベントの際の3カ月間のイベントFM局としての放送を経て、市や地元企業の出資により2000年6月に開局した。

同局では現在、「災害放送ボランティアF」のメンバーを募集している。これは災害が発生した際にならどっとFMを、市民の安否情報やライフライン情報などを放送する「災害情報ステーション」として機能させる役割を担う市民のボランティア組織である。Fという名称はFamilyの頭文字から取ったもので、災害時に誰もが家族のようにお互いに助け合って、情報を共有することを目指して付けられた。

ならボランティアプロダクションのスタッフで、かつて神戸大学の学生だった時に阪神・淡路大震災の被災体験を持つ藤本卓也氏を中心に、震災10周年となる2005年1月に発足した。現在15人のメンバーが参加して、災害時の情報収集や電話対応などの作業も含めた放送に備えるため、毎月、防災放送訓練を兼ねて「防災ファイル21」という番組を制作して放送している。

これまで見てきた「FMわぃわぃ」や「ならどっとFM」のように、市民ボランティアがいざという時の災害放送に向けて日常的に取り組んでいる局は、まだその数が少ないのが現状である。今後はこうした市民ボランティアによる地道な取り組みが様々な機会に紹介されることで、他の地域の多くの局が防災への取り組みをスタートするきっかけになればと思う。まだ地元のコミュニティFM局の放送を聞いたことがない方は、一度ダイヤルを合わせてみてはどうだろう。

(監修:レスキューナウ 文:武蔵大学助教授 松本恭幸)

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