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東京文化幼稚園 インタビュー

東京文化幼稚園 福田景三郎 園長先生

地下鉄丸の内線・東高円寺駅から徒歩10分の閑静な住宅街の中に、東京文化学園中・高・短大と並んで幼稚園と小学校があります。小学校校長と兼務されている福田園長先生の机の上には、タヌキのお人形がいっぱいありました。また、壁には幼稚園児が描いた絵がたくさん貼ってあり、先生のお人柄が伝わってきます。

「真理は汝に自由を得さすべし」

福田景三郎 園長先生私たちが、なぜ子ども達と一緒に生活しているか、またなぜ「東京文化幼稚園」があるのかというと、ただ一つのことに集約されます。それは、私達人間がまわりの人たちとどのように関わり合い、どのように触れ合えば、お互いのいいところが出て、仲良く楽しく生活できるかということを学ぶ経験を、この幼稚園の中でたくさんしてほしいという願いがあるからです。

東京文化幼稚園は、昭和21年に創立され、創立者のキリスト教信仰に基づく教育理念を受け継ぎ、キリスト教の愛の精神に基づいた愛情こまやかな保育を実践してきました。
学園全体の基本的な教育理念は、「真理は汝に自由を得さすべし」というものです。

人間というのは、いくらでも大きく伸びる可能性を持っているのに、自分で自分自身に手かせ足かせをしているようなことが多いのです。また人間は、何でもできるというような思い上がりを持ったり、自分は大人なのだから、子どもは大人の言うことを聞きなさいというような傲慢な気持ちを持ったりします。自分自身をしっかり見つめていないのです。キリスト教を教育の基本に置いているというのは、神様という大きな存在の前に立って初めて、自分の人間としての小ささとか、至らなさとか、愚かさというものに気付いていくということなのです。

登園風景子どもというのは素晴らしいものをたくさん持っていますから、子どもと一緒に生活するということは、決して教え導くためではないのです。子ども達に伝えたいものがありますし、子ども達はそれ以上のものを私達に伝えてくれます。伝え合う場なのです。例えば大人の常識を一方的に子どもに押しつけるのではなく、子どもの言葉にしっかり耳を傾けて、子どもの目線で、子どもと一緒に生活しているかどうかが、とても重要なことだと思います。子ども達から伝えられたものを、しっかり受け止めているか、こちらからは工夫して伝えたいことをしっかり伝えられているかどうか、伝えるだけの思いを、自分の中にちゃんと持っているだろうかなど、いろいろな反省が出てくると思います。自分自身としっかり向き合うことになりますから、神様と向き合うことにより、自分の小ささとか愚かさを知り、自分自身が見えてきて、これではいけないんだと自分自身が気付くわけです。気付くことによって今まで自分を抑えつけていた枠とか、手かせ、足かせから自由になれるのです。それが、「真理は汝に自由を得さすべし」つまり「真理は、あなたたちを自由にする」ということだと、私は理解しています。

認め認められて、共に生きる

聖書の中に「汝のごとく、汝の隣人を愛すべし」という言葉があります。「自分が自分を愛するようにまわりの人を大切に、自分よりもっと大切に思いなさい」ということです。

また、イエス様は、いつも、子どものようになりなさい、子どもをお手本にしなさいと言われています。子どもに、悪い子どもはいないのです。みんないいものを持っています。同じものもあるでしょうし、違うものもあるでしょうが、みんないいものを持っているのです。それを私達は幼稚園の中で、お互いにたくさん発見したいと思っています。

ナスの苗を植える子ども達例えばジャングルジムを登るのがうまいお子さんがいると、すごいなと思います。すごいなというのは、そのお友達を認めているわけです。登っているお子さんからみれば、自分が頑張ってジャングルジムを登ったことが認められているんだという気持ちになります。また例えば給食で何かこぼしてしまったときに、お友達がすぐフキンを取りに行って拭いてくれたとします。大事なお友達だから、拭きにくるのです。ありがとうという気持ちが伝わります。そうすると、急いで拭きに行ったことを喜んでくれている、認められていると感じるわけです。そういう風にいろいろな形で認め、認められるという関係を、幼稚園の中でたくさん作ってほしいと思います。そのことによって子ども達は、一人一人が自信を持っていきます。みんながいろいろな形で自信を持てるようになる、それはとても大切なことです。

そういうお友達と一緒にいるのは楽しいですし、早く幼稚園に行って遊びたいなという気持ちになります。そこで、共にいることの意味、一緒にいることの楽しさ、一緒にいることがどれだけ大事なことなのか、それらを一つ一つ経験してもらえるのではないかと思います。

レストランごっこ認める、認められるという関係の中で、一人一人が自信を持てるようになるということ。それから、一緒にいる、共に誰かといるということはとても大切なことなんだということ。この2つのことは、人間としての、社会人としての一番大事な、「土台」だと私は考えます。幼稚園はその土台作りの3年間と捉えているわけです。何でも吸収できる今だからこそ、お互いにいい触れ合い、いい関わり合いを、いろいろな形で持ってもらいたいと願っています。かけがえのないこの一人の大事な人間は、80年、90年の人生を生きていきますが、私達はいつもいろいろな触れ合いの中で生きています。年輪が重なるごとに触れ合いが深まり、広がります。触れ合いなくして、人間生活というのはあり得ません。素直で純真で好奇心がいっぱいの今、この時期だからこそ、いい触れ合いをたくさんしてもらいたいと思います。これからの人生の中で、「誰かと触れ合ったらいつも楽しいことが起きるんだ」という思いを持って触れ合えたら、そのいいところが必ず伝わるでしょう。そして、そういう人は、相手のいいところも必ずわかります。単に幼稚園の3年間だけではなくて、一生の問題だと考えています。私達はその子の一生涯の中で、いい触れ合いを持つ、コミュニケーションで触れ合うということはプラスであるという気持ちを、ここでうまく子ども達に感じてもらいたいと思っています。

今、兄弟同士、家族同士、友人同士が殺し合ったりする悲惨な事件が起こっています。複合的にいろいろな要素や原因があると思いますが、共通していることはコミュニケーションがうまくいっていないということだと思います。だから、子ども達にコミュニケーションを、いい形で、いろいろな形で感じてもらいたいと思っています。

私達は幼稚園で保育をしているときには「温もり」、「触れ合い」、「分かち合い」ということいつも考えるようにしています。これらをきちんと子ども達に伝えているだろうか、子ども達はきちんと受け止めてくれているだろうかと常に思いながら生活をしています。

3つの「さ」 謙虚さ、優しさ、熱心さ

梅の実の収穫(園庭にて)私はいつも保育には、3つの「さ」が大事であると言っています。「謙虚さ」と、「優しさ」と、「熱心さ」です。3つの「さ」は私の願いであり、祈りでもあります。謙虚さというのは、いつも自分が神様や自分自身と、ちゃんと向かい合っているかどうかということです。失敗するときは自分を見失っているのです。神様や自分としっかり向き合っていれば、自分はなんて思い上がっていたんだろうとか、なんでひどいことを言ってしまったんだろうとか、自分自身が見えてきます。

次が優しさ。つまり、命のぬくもりをいつも感じることができますようにという願いです。それは例えば私達人間同士であったり、動物であったり、植物であったり、いろいろな命についてです。なぜ存在しているかを考えたとき、存在しているもの、皆意味があると思うのです。しっかりとぬくもりを感じ取れますようにということです。

3つめの熱心さというのは、今すべき努力ができますようにという願いです。3つの「さ」をいつもちゃんとやっているだろうか、大丈夫かなと、自分自身をいつもふり返り、反省することが大切だと思いながら、子ども達と毎日一緒に生活しています。

虫とりに夢中な子どもたち私達は、子ども達と生活するときに大人だからとか、先生だからではなくて、一緒になぜここにいるのかを考えます。一緒に触れ合い、分かち合うためにいるのです。それがどんなに大切かというのは、子ども達はよくわかっています。その大切さを「そうだよね、大切だよね」と、子ども達が何らかの形で表したときに、一緒に喜ぶためにいるのです。子ども達は無限の力を持っています。ですから保育とか教育というのは、教え込むことではなく、伝え合うことだと思います。子どもは、いいものをたくさん持っているわけですから本来いくらでも伸びるのです。私達が気をつけなければいけないのは、無数に伸びていく芽を摘まないようにということです。結局、私達教育に携わる者というのは、サポーターだと思います。それがこの東京文化幼稚園の保育に対する基本的な考え方で、そういう気持ちを教職員みんなが持ち、生活しています。

ゴール主義ではなく、スタート主義に

子どもは、家庭で親から伝えられたものをそのまま幼稚園に持ってきます。

子どもらしくていいなと思うお子さんは、ご兄弟も同じです。そしてお母さんにお会いすると、お母さんも同じ雰囲気です。そのあたりがすごく大切なことです

例えば、子どもがお母さんに話しかけたときのお母さんの聞き方、受け止め方をそのまま、人の話を聞くときはこれでいいんだと子どもは覚えてしまうわけです。話しかけても、「後で。うるさいわね。」と言われていれば、子どもも「うるさい」「後で」になってしまいます。それがおかしいとは思わないのです。つまり、ものすごく大事なものをお母さんが毎日、毎日の生活の中で伝えているわけです。そこを大事にしていただきたいなと思います。

砂場遊び伸び伸びしているお子さんというのは、お母さんやお父さんの伸び伸びとした気持ちを受け継いでいます。ご家庭でそういう応対をされているので、自分もみんなにそういう応対ができるようになるのです。

よく手が出るお子さんというのは、家で叩かれていることが多いです。子どももいいとはもちろん思っていないのですが、自然に繰り返されていると、それでいいと錯覚してしまうこともあります。

私はスタート主義に立ってほしいといつも言っています。スタートで考えてほしいのですが、ゴールで考えてしまいがちです。ゴール主義だと結局、褒めるチャンスがないのです。100点がゴールだとすると、90点というのは、マイナス10点なんです。私は「スタート主義でいきましょう」と言っています。スタート主義では、10点でも、10点分頑張ったと考えるわけです。スタート主義だと、どういう状態でも一緒に喜び合えます。例えば10メートル走というのがあったときに、ゴール主義では、10メートルまで来なかったら一緒に喜べないですよね。ところがスタート主義だと、1メートルでも「よかったね、1メートル行ったじゃない。明日2メートルになるかもしれない。」と言えるのです。一緒に喜べるのです。スタート地点から出なくても「ああ、どうやってスタートしたらいいかよく考えているんだ、偉いね。いいスタートが切れるよ。ゆっくり考えて。」と、どんな状態でも褒められるんです。だから、スタート主義であってほしいのです。

失敗は、ラッキー

もう一つ、スタート主義とも関連してきますが、失敗を「よくないこと」と捉えることは、ものすごく大きな問題ではないかと思っています。私は、子ども達が失敗すると、「ラッキーじゃないか」と言うんです。子どもは失敗したと思うから、「先生、なんでラッキーなの?」と言います。例えば、サッカーでオウンゴールした時、「なんであんな大失敗したのにラッキーなの?」と聞くわけです。「オウンゴールしてどう思った?」と聞くと、「すごくいやだった。」「いやだったからどうした?」「頭にきた。」「頭にきてどうした?」「もう二度としない。」「もう二度としないでどうするの?」「すごく練習する。」「今だけで4つも考えたじゃない。考えるチャンスを神様がくださったんだよ。失敗しなかったら、考えるチャンスがなかったんだよ。人間は考えることが大事なんだよ、失敗しない人は、何も考えるチャンスがないんだから、かわいそうなんだよ。10失敗したら、10の幸せがあなたの未来に待っているんだ。すごくラッキーなことなんだ。人間というのは考えるから、そこからいろいろなことが生み出せるものなんだ。良かったね。」と言うんです。学校とか幼稚園というのは失敗する場所なんです。たくさん失敗してほしい。失敗するからそこでいろいろなことを考えて、悩んだりできるわけです。そこから反省も出てくるし、どうしようかなというのが出てくるのです。とにかく、失敗することはいいことなんだと言います。そうすると不思議とあまり失敗しなくなるんです。

ある人間というものの総量のうち70%いいものがあって、30%なんとかなったらいいなと思うものがあったとすると、この30%の方に注目する人が多いのです。子どもを例に取ると、宿題を先にやりなさい、そんなにゴロゴロしていたらダメだとか、ちゃんと先生の話を聞かなければだめだとか、御飯の食べ方が汚いとか、漫画読んでちゃんと片づけないとか、気になることは山ほどあります。でも、そればっかり言っていると、子どもはここに神経がいってしまい、いつの間にか、なんか自分は良くない子、ダメなんだと思ってしまい、なんとかしないといけないことが半分くらいに増えてしまうんです。気がつくと70%のいいところが半分になってしまっています。いいところが7割というところに注目していると、やがて80%、90%になります。大人だって同じです。

花壇の土起こし

「ここからスタートで、ここがゴール」だとすると、どうしても手を引っ張って真っ直ぐ連れて行きたくなってしまいます。確かに安全だし早く着けます。早く着けることがいいことかどうかは疑問です。安全だけしっかり確保しておけば、迷ってもいいんです。迷えば考えるんです。そして苦労してたどり着いたときの達成感、自信、充実感、これは他の何事にも代え難いものです。子ども達を信じて、あとは見守って待てばいいのです。

例えば、園の生活の中で、お絵かきや折り紙や、お帰りの用意がテキパキとしっかりできて、給食もきちんと食べ、あいさつもしっかり言えることは確かにいいことです。でも、それでお友達を蹴飛ばしていたら、どうしようもないでしょう。一緒にいるということが、人間の一番大切なことなんですから。だから、多少食べるのが遅くたっていいんです。食べ散らかすことがあってもいいんです。友達と一緒にいつまでもいたいな、ということを大事に思うお子さんの気持ちが大事です。つまり、大人から見た良い子というのを求めてはいけないと思います。

保育は伝えるということ

子ども達に語りかけるときには、私達はその子どもより顔を下にして、下から語りかけるようにしています。上にいるだけで威圧感がありますから、顔を下にします。それだけで子どもは安心するんです。これはどうしても言っておかなければいけないなというときは、近くで、その子だけに言うようにします。楽しいときにはみんなの前で、上から言ってもいいのですが。静かな声で、一生懸命語りかけます。聞いてくれなければ話にならないですから。まずは聞いてもらうようにしなければいけません。そのためには先生が顔を下にして、「ねえ、○○ちゃん、どうしたの?」と、「どうしたの?」から始めます。「叩いたの?」ではダメなんです。だって昨日叩いた人にうんといやなことを言われたのかもしれないですから。見えていないことが、見えていることの10倍あるのです。だから決めつけないで、全く白紙の状態から聞くように心がけています。相手を認めて、相手を大事に思って、「何でも話してね。どうしたの?」というところから入るようにします。そうすることによって、子どもは、自分のことを認めてくれているとわかってくれます。そうすると話せるようになります。すべて信頼。良いコミュニケーションということだと思います。保育は伝えるということですから、それが一番大事です。それをとにかく1つでも2つでも大事にして、子ども達と一緒に保育をしていきたいという思いでいます。

宿泊保育で、園長先生とお食事時間はかかります。「叩いちゃだめ」と言うのは3秒で終わるんですが、そうすると、言われるからそうする、言われなければそうしない、ということになります。でも、子どもに考えて欲しいのです。考えて自分の言葉で話して欲しいのです。子どもは自分の言葉で言うと責任を持ちます。それを何度も繰り返していると、子どもは、どういう風に考えればいいのか、どういうことをすればいいのか、わかるようになります。自分で考えて行動する子どもに育ってほしいのです。大人が結論を出してしまったら、考える必要なんてないわけです。考えるチャンスというのは、大事なことです。日常の生活の中にチャンスはいくらでもあると思います。

「叩いちゃだめ。」ではまた叩きます。そのうち大人はイライラしてきて、「何回言ったらわかるの。」となってしまいます。対等の大事な人間だという思いがあれば、そんな風にはならないはずです。自分で考え、人を叩くのはよくないなとしっかり自覚してくれれば、その子はお友達を叩かなくなるでしょう。そうしたら、そのお子さんのいいところを見てもらえるようになってきます。叩いているとそちらに気がいってしまって、そのお子さんの良いところを見てもらえないのです。そういうことが大切だと思います。かけがえのない幼稚園の3年間です。

たくさんのたぬきグッズ

私のことを子ども達は“たぬき先生”というあだ名で呼んでくれます。どんぐりとか、葉っぱとか、お手紙とかいろいろなものをくれます。どんぐりなんてぎゅーっと握っているので、温かくなっているんです。日々本当に温かいものをもらっているなあ、と感謝しています。この幼稚園では本当に笑顔がいっぱいなんです。子ども達を見ていると、こんなにニコニコできたら、1日楽しいだろうなと思いますね。一緒にいるというのは、こんなに楽しいことなんだよ、と子ども達が私に伝えてくれていると感じます。心からうれしいなと思いつつ、子ども達と生活しているのです。

東京文化幼稚園 HP
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