田園調布ルーテル幼稚園 杉本洋一 園長先生
東急田園調布駅から7分のところにあります、田園調布ルーテル幼稚園にお伺いしました。幼稚園の隣には田園調布ルーテル教会がありました。
スウェーデン系アメリカルーテル協会による設立
この幼稚園は、キリスト教ルーテル派の教会が建てた幼稚園です。オーガスタナシノッドという、ルター派のスウェーデン系アメリカ人の人達が日本に神様の言葉を伝えたいという思いで、1951年にここに教会を建てました。その翌年1952年にここに、地域への愛と奉仕の実践として「めぐみ愛児園」という幼稚園が作られました。そして1954年、東京都公認幼稚園として許可を受け、名称を「田園調布ルーテル幼稚園」とし、現在に至っています。
この教会にはそういうスウェーデンの人達の祈りが込められていて、その祈りが今でもこの幼稚園の基礎になっています。この幼稚園の基本方針は、神様の言葉を伝えたいということが中心となっています。私たちは、子どもを神さまから与えられた「いのち」と受け止め、年齢に応じ、「個」に応じ、個性を伸ばし、社会人としての基礎の育成に努めています。
ここで子ども達は水曜日には礼拝をしますが、お祈りは毎日しています。日常的にお祈りをし、聖書の言葉を覚えたりして生活をします。幼稚園に入ることによって、無宗教の家庭の子どもがお祈りをし始めます。そのことによってお父さんとかお母さん達は驚かれることがたくさんあると思います。キリスト教主義の幼稚園や学校で、キリスト教に何かの形で触れた人達がこの幼稚園に子どもを入れられることも多いようで、園の方針に理解のある保護者の方が多いです。
幼稚園は遊びの場。 泥んこも、けんかも思う存分
幼稚園の生活の中で、子ども達はかなり自由に遊びます。このことが私は大切だと思っています。今、幼稚園に受験的なことを求めて、それに応える幼稚園がいい園だという風に見る人達が増えていますが、この園では子ども達が自由に遊ぶことを生活の中心にしていますので、物足りないと感じるお母さんもいらっしゃるかもしれません。
子ども達は、雨が降った次の日には、すごく外に出たがります。園庭の真ん中に子ども達が穴を掘ったりすることもよくあります。砂場の所にシートが掛けてあるのですが、その砂場の所に水がいっぱい溜まってプールのようになってしまいます。そのプールを子ども達は楽しみにしています。また園庭で泥だんごなどを作ります。泥の“ぐにゅっ”という感触が気持ちいいのです。そんな、子ども達が小さいときに感じる感触を大切にしたいと思います。ここの幼稚園では、子ども達は必ず着替えの袋を持ってきていて、服が汚れてもいいようにしています。制服もありませんし、スモックも着ません。スモックというのは、服の上に着てスモックは汚れてもいいけれど、制服やその下の服を汚さないようにするためのものです。アトピーの子ども達もいますから、洗濯をした清潔な着ざらしの服で、自分の体に一番合った服を着てほしいと思っています。服を汚すことに規制をしてしまうと、自由に遊ぶこともできません。幼稚園では思う存分遊んでほしいのです。そういう服を着て、泥だんごを作ったり泥を触ったりします。都会の中なので、それほど自然が豊かな場所ではないのですが、それなりに子ども達にいろいろなことをさせたいということは、ずっと一貫して考えてきています。子ども達がこの幼児期にしなければいけない体験をさせています。今このときにしないとだめなのです。
けんかもそうです。今しないと大きくなってから、もうしなくなってしまいます。人間関係は、「だめだよ」とか、「ごめんなさい」ということを言ったら完結するか、というとそうではないのです。その後に、どうも気にくわないとか、そういう気持ちを心の中に持ち続けます。そういう不快な思いなども含めて、人間関係の中で基本的な事柄を幼児期に体験するのが大切だと思います。
小学校に行ったらおのずと競争社会に入っていきますから、幼稚園は遊びの場にしたいのです。でも今は、小学校からの学びの時間が幼稚園に降りてきています。大学とか会社とか、そこに行くための手段を早くから始めなければいけないのは今の社会の仕組みなのかもしれないですが、残念なことです。
子どもの問いに、寄り添い向かい合う
この幼稚園には園バスもありません。バスがないのはお母さん達に送り迎えしてほしいからです。園への行き帰りの時間を親子で共有することを願っているからです。手をつないで、「今日、隣のうちの花が咲き始めたね」とか、「いつも通るお店のレイアウトが少し変わったね」とか日常の何げない会話が、親と子の関係の中で大切なことだと思います。真剣な討論ではなくて、毎日親が子と歩きながら交わす言葉に、どれほど小さな魂は落ち着けて時間をすごすことができるでしょうか。この時間はとても貴重で大切な時間です。バスを使ってしまうと会話が少なくなってしまいます。3歳、4歳の時期に基本的な生活が作られますので、その時期の親との会話は特に大切だと思います。
子ども達には幼児期に、親との会話が必要なのです。「お母さん、これ何?」と、子どもはいろいろ聞きます。「これ何?あれ何?」と問いを発することは、子どもの持っている1つの特徴です。それで子どもは言葉を覚えていきますし、いろいろな仕組みも覚えていきます。でも、おかあさんが忙しくて、「後でね」とか「待っててね」と言ったら、子どもはもう、次は聞かなくなってしまいます。問いをお母さんが封じてしまうと、子どもはもう、その問いは発しません。子どもの、この時代にしか発しない問いというのがあって、それをお母さんに聞いているのです。保育者もなるべくそういう、子どもからの問いに向かい合うように心掛けています。向かい合う、寄り添う、ということは、今大切なことです。向かい合うことが、今のこの社会の中では少なくなりすぎているかもしれません。
毎日が参観日
私達は参観もなるべく機会を作ってしていただくようにしています。園バスがないので、お母さん達がここまで入っていらっしゃいますから、ここでは毎日が参観日のようなものです。園バスがあると、バス停の前に何人か集まって、その何人かで幼稚園に行きますので、そのバス停での人間関係はできるけれども、幼稚園であったことを、お母さん達はあまり知らないことになります。知りたくてもなかなか幼稚園に行けないのです。自分で情報を知る機会を閉じてしまっています。この幼稚園では、お母さん達が毎朝ほかの子ども達の姿も見ますし、毎日先生とも話しますので、交流の機会が多いと思います。
今のお母さん達は、どうしてもお母さん同士の横の友達に頼ってしまいがちです。昔と違い今は、いろいろなことを友達に対して聞きますが、あまり知らないおかあさん同士が話し合っても、子どもに対しての方針というのはなかなか定めらません。友達から出てくる、「こういう風にしたらどう?」というアイデアだけでは、子育てはあまりうまくいきません。
預かり保育
子育て支援の預かり保育をやらなければいけないと思い、月、火、木、金の保育終了後3時間実施しています。始めたときは、1日平均1.6人だったのですが、2年目で6人に増えて、今3年目です。やがて女性が社会の中で労働人口として組み入れられていかないと社会が成り立たなくなるでしょうし、また、女性自身も働きたい人が増えています。それで預かり保育を始めました。でも、利用されるのは働く女性はもちろんですが、家に帰っても子どもの友達がいないので、ここで遊ばせたいという方もいらっしゃいます。子どもが少ない地域なのかもしれませんが、お金を払ってもここで遊ばせたいということでしょう。
子どもが小さいときにしっかりと一緒にいてあげれば、少し大きくなってからは鍵っ子だっていいと思います。でもこの小さいときに、便利さや、何か、お金で買うことをすると、結局後からだめになってしまったりします。おじいちゃん、おばあちゃんがいらっしゃればいいと思いますが。本当は誰かが家庭の中で見てほしい、ずっといる必要はないですが、今、この時期いてほしいと思います。
運動会でなくプレイデイ
今年から運動会をやめて、プレイデイという名前にしました。プレイデイとか遊び大会にしている幼稚園は、最近増え始めているかもしれません。
運動会は体力的なものの競い合いが多くなります。人間には競争も必要ですけれど、今の時期は競争することよりも、子どもが受け入れられているということを確認する時期だと思います。小学校に行ったら競争になりますから。今は、子どもがお母さんや保育者や、周りの人達から自分が受け入れられているということを確認する、その時だと思います。
10月に運動会を行うと、子どもは成長してクラスのまとまりもできてくるので、習熟性や連帯などが試されることになりがちです。子どもの運動能力も高まってきて、リレーというものも出てきます。ですから5月にしました。みんな一緒になって楽しんでくれればいいのです。まさにプレイ、遊びです。そこで交流を作り、知り合うことができればいいと思います。私が思っている幼稚園のメッセージは、子どもが初めて知らない大人と出会う、保育者と出会う、知らない隣人、子ども同士出会うということです。
障碍を持ったお子さんのお母さんの中には、運動会は休みたいという方もいらっしゃいます。私は、幼稚園はお父さんやお母さん達に運動能力など競い合いを見せる場ではなく、障碍を持っている子どもだってここにいていい、一緒にこのグループの中に溶け込む場だと思っています。それなのに、どうしても障碍を持っている子は浮いてしまいがちです。でも、この集団の中にこの子がいていいんだというメッセージを出していきたいと思います。
幼稚園の時期はちょうど、教えれば何でも吸収する時期で、親は過度な期待を持ってしまいますが、人間が持っているものは、五十歩百歩です。すべての子ども達にあなたはここで受け入れられているんだというメッセージを与えていきたい。その温かなメッセージを受け取って、自覚した子どもは生きていけるのです。これは幼稚園のメッセージなのですが、実は教会のメッセージでもあります。世の中では脱落するということもたくさんあるわけで、必ずしも華やかなゴールを迎えるわけではありません。いつかはオリンピック選手だって、自分の出した記録を破られるだろうし、自分の持っていた体力は、いつかは必ず死という形で落ちます。みんな同じです。障碍を持っている子どもも、健常な子どもも同じです。
フィンランドでのこと
私は一時期フィンランドにいました。フィンランドや、スウェーデンのような北欧の国は、福祉国家ですばらしいとか、日本では少々美化しすぎているようです。失業者はたくさんいるし、夏になればウォッカを飲んで外で寝ている人がたくさんいたりします。街中には段差もいっぱいあります。でも社会的には欠陥があったとしても、大切なのは階段があったときに、車椅子を運び上げてくれる人間がいることなのです。人間が実は社会を優しくしているのです。日本はその優しさが全然なくて、建物などのハード面ばかりが注目されているように感じます。
北欧では教会は精神的な面で大きな働きを担ってきました。いろいろなことで困っている所では、地域の中で教会がパンを配ったり、あるいは教会が集会に使われたりと、いろいろな中で教会が果たしてきた役割はとても大きかったのです。精神的なものが後ろ側にあって、その精神的なものが具体的な形になって集会が持たれたりして、人々に対しての行動、規準を作ってきました。
精神的な基盤が後ろ側にないと、基準の策定だとか、いろいろな建物だとか、ハードな部分ばかりで、ソフトの部分を作れないということになってしまいます。
命の根源に触れていく教育
学校では道徳教育をしますが、どうしても命の根源のことについて触れないわけにはいかなくなると思います。宗教を持っている幼稚園ではそれについて触れることができます。人と人との関わりで、命の根源について触れていったら、神様や仏様のことに触れないとどうしても出てこないということがあります。宗教性があるということは、子ども達に命について触れさせることができるということです。なぜ人を怪我させてはいけないのか。例えば自分がやられたらいやだとか、それも1つの理由になるのでしょう。でも、大多数が言っている意見が必ず正しいでしょうか。大多数が言っている意見が正しいとした大きな間違いは、戦争でしょう。戦争をしたときには、大多数の人が戦争すべきだと言いました。でも、時間が過ぎればそれが間違いだったということがわかるわけです。道徳では大多数の意見が正義にもなりえるでしょう。でも大多数が正義かというと、それは違うかもしれません。
2005年11月14日(月)田園調布ルーテル幼稚園にて
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