宝仙学園幼稚園 古川伸子 園長先生
渋谷から20分ほどの地下鉄中野坂上駅から徒歩8分のところ、閑静な住宅街にあります、宝仙学園幼稚園にお伺いしました。
仏教的なものを取り入れた情操教育
この幼稚園は昭和2年創設で、幼稚園としては歴史が古い園です。昭和10年に保育者の養成校ができました。幼稚園の施設は古いのですが、隣接して宝仙寺がありますので、静かで緑が多い環境です。仏教色を強く出しているわけではありませんが、仏教的なものを取り入れた情操教育をしており、子ども達はいろいろな場面で手を合わせています。保育は今までずっと、自由遊びを主体にしています。それぞれの幼稚園で、その園の保育の特色があると思いますが、この幼稚園では、砂と土と水で遊ぶことです。また、幼稚園としては保育者を養成する任務も大きく、1年中、月曜日と木曜日は必ず実習生が40名ほど入ります。最近は男性保育者も増えてきていますが、当園でも1人教員として、男性が入っています。
健康と意欲を幼児期に
健康教育:
幼稚園が創立以来、一番重視しているものは「子どもの健康」です。大人とちがって特に幼児期は「成長する力」と「健康を守る力」をつけなければならない時期です。本園では昭和2年より給食を始め、バランスのよい食生活に心がけてきました。豊かな食の時代といわれている現代こそ、より一層、食生活にこだわり伝統を守り続けております。更に園庭での遊びの充実に心がけると共に、課外活動のスポーツランドにおいても、体力増強に日々努力しております。
意欲を育てる:
幼稚園という環境の中で、子ども自身が何を選んで遊ぶことにするか。「やってみようか」「やってみよう!」という気持ちを育てるために、様々なものを準備しておきます。文部科学省の幼稚園教育要領では、幼児教育の最も大切なこととして「環境による教育」をかかげています。その「環境」のなかで「自ら選んで」活動することに重点をおいています。本園では「自ら選んで」活動し、失敗したとき、どのように対応したらよいか。失敗を恐れず、しかも失敗を乗り越える体験をとおして、意欲的な子どもを育てようとしています。
思考の自律、行動の自立の芽を育てる:
ひとりで考える。友達と考え合う。一人で行動できる。友達と協力することができる。これらは人生のなかで大切なことですが、幼児期にはまだまだむずかしいことです。幼稚園という場で、多くの大人に見守られながら、また友達とぶつかり合いながら、自律と自立の方向へ育つような体験ができる教育課程を考えています。
宝仙学園幼稚園で大切に考えている行事
家庭で体験できないことを、多く行事の中にも取り入れていきたいと考えています。

- 仏教行事:はなまつり、地蔵祭(毎月一日)、みたままつり、大師祭等
- 日本の伝統を伝える:七夕、やきいも、お正月遊び、豆まき、ひなまつり
- 健康教育:プール、園外保育(年6回) ほうせんスポーツDAY
- 学園の行事に参加する:宝仙祭(幼稚園から短大までの文化祭)
- 課外活動:自由選択で以下のような活動をしています。
月 体操 2:00〜4:00 火 バレエ 〃 木 サッカー 〃 金 新体操 〃
- 1・2歳児の保育「ベストリッチクラブ」毎週 水曜日1:00〜3:00親子で遊ぶ日です。宝仙学園幼稚園に入園を希望しない方もこの時間親子で充分遊んでいただいています。
- 満3歳児保育満3歳児のお誕生日の翌月より入園できます。本年度はすでに定員になってしまいました。
これから入園させたいと考えている保護者の皆さまへ
子どもを育てる時は、いつも肯定的に、プラスの面からみていきましょう。
うちの子は食事もまだできない
トイレもできない。まだ紙オムツ!
母親と離れると泣く
等々、マイナスに考えないで、思いきって入園させて見ましょう。子どもも、幼稚園という社会の中で、たくさんのことを身につけていきます。勇気を出して、幼稚園の先生に質問し、他の母親たちと共に子育てをしてみましょう。子どもを育てることを通して今までと違う自分に出会えることができるかもしれませんね。
幼稚園の先生方と、ご一緒に子育てを考えてみましょう。
宝仙小学校への進学
宝仙小学校に行きたいということで、この幼稚園に入園される方も多くいらっしゃいます。地元の中野区だけでなく新宿、渋谷、世田谷、杉並、練馬辺りからの入園者も多く、大江戸線があるので、光が丘方面の方も多いです。
園児の三分の一くらいが宝仙小学校に進学します。あとの三分の一がいろいろな私立の学校に行き、あとの三分の一が公立の学校に行きます。公立の学校は今は自由に選べますので地元だけではなく、千代田区や文京区に行く方もいます。
娘時代の「私」から離れられないお母さんの悩み
教育の質について言えば、今は安易な方に流れてしまう傾向があります。親もそうですし、学校もそうです。幼稚園には、なるべく長い時間、保育をしてもらいたい、送り迎えもバスで、幼稚園側でして欲しいと思われている方が増えているようです。私達の幼稚園はバスはなく、必ず送り迎えをしてくださいといっていますし、保育時間も短いです。幼児期には手をかけなければいけないと思っています。保護者の方には、そこはなかなかご理解いただけないところです。6才までは本当に手をかけて欲しいし、一番楽しい時です。小学校3年生ぐらいになると、だいたい親から離れてお友達の方に行きますし、中学生になれば、親は必要な時だけいればいいという時代になります。
今の時代、幼稚園児の母親がどうしても自分自身の娘時代から離れられないのです。自分で自由に働いて、お金も自由に使っていた、そういう「私」というものから離れないうちに出産すると、いろいろな面で我慢をしなければならなくなってしまいます。そこにジレンマがすごくあるのです。ですから、娘から母になる、そこのところを幼稚園として何かうまくお手伝いできないかと思っています。
この幼稚園のお母さんでも、働いている方もいらっしゃいます。ベビーシッターに送り迎えをさせたり、いろいろな形のご家庭があります。私は、働くお母さんには自信を持って欲しいのです。「私が働いているから子どもがかわいそう」と思わず、「私は働く人、あなたは幼稚園に行く人」と、気持ちの中にしっかりした軸を持っていれば、子どもはそれなりに働く親を認めながら、自分の世界を作っていくものです。また、専業主婦になると、ひたすら子供に依存してしまい、親が子供から自立できないといった問題もあり、複雑です。現代は、親として、どう生きるか難しい時代です。
今、本当に、どこで何をしていいかわからない、孤立しているお母さんもいらっしゃいます。マンションの一室では親子が本当に孤独で、苦しいのです。この園では週1回、就学前の親子が遊びに来る2才児のクラスがあるので、親子で遊んでいただいたりしているのですが、お母さんもどう子どもに対していいのか分からないようです。そのあたりが、子育ての問題でしょう。
子どもが幼稚園や学校にうまくなじめなかったり、お母さんが先生とうまくいかないこともあります。自分の主張はなさるのですが、相手を受け入れるということがなかなかできない方もいらっしゃいます。理不尽なことを言ってこられても、私は一応全部受け入れるようにしています。とにかくそのお母さんを全面的に受け入れると、そこでフーッと表情が和らぎます。その後、こちらも言うべきことを、折を見て言うようにしていきます。
娘時代には、自由に勉強をして、就職して、職場で頑張ってやっていれば、それぞれの自分の「場」というものがあったわけです。それが結婚して家庭に入り、子どもができると、そこから全部切り取られてしまいます。そうすると、家庭という場でどう自分を生かしていいのか全く見当がつかなくなるのです。何を言っても分からない、言うこともきかない子どもが目の前にいて、本当にパニック状態なのです。子育ての問題以前に、自分の生き方を、肯定的に話し合える場が必要なのではないでしょうか。
キャリアウーマンだった皇太子妃の雅子さまの場合も例外ではないと思います。キャリアウーマンだった人が急にあの環境には適応できないのです。でも、今のお母さん達は多かれ少なかれ同じ状況です。自分が今まで生きてきた娘時代から、全く違う環境へ入ったわけですから身の置き場がないと感じるのです。高学歴で、キャリアウーマンだったとしても、急に幼児教育の専門家という風にはなれないですから。だから今のお母さん達は、ある意味すごく苦しいのです。今の女性の苦しみというのは、雅子さまが代表していらっしゃいます。
お母さん達は、自分は常に立派でなければいけないとか、母に専念しなければと理屈では分かっていても、本当の心はそうではないのです。自分がいいと思う幼稚園に子どもを入れて、幼稚園の仕事をしようと思っても、バザーや、卓球大会などの幼稚園の仕事も、ある意味ではばかばかしく思えたりもします。やった方がいいのか、やらない方がいいのか、また葛藤があるのです。
現在の生活に満足ができない、いつも何かもっとあるんじゃないかという気持ちが、子どもを追いつめていくこともあります。そして、子どもが中学生になり、いつも満足のいかない両親からの自分に対する期待が膨れあがっていると感じた時、自分の居場所が家庭になくなってしまいます。お母さんの期待に応えられない苦しさが子ども達にあります。そして、生きる方向を間違えていき、人を傷つけたりすることもあるのです。それは親がキャリアウーマンだったころの「私」をずっと引きずっているからだと私は思います。キャリアウーマンから母になる過程を解決しないとだめだと思っていますが、今は、システムとしては何もないのです。幼稚園等で家庭に入ろうとする女性達に、自分の持っているものがどのように希望に転換していけるのかを考える所です。
働くお母さんの燃える背中
働くお母さんに対する支援は、日本は少し遅れていると感じます。今は母親と子どもだけが犠牲を強いられています。子どもが保育所で14時間くらい保育されていたりします。それが「子育て支援」という何か訳のわからない言葉の元になっています。お母さんは子どもを投げ込むようにして保育所に入れ、奪い取るようにして自分の家に帰らないといけません。帰った時には8時で、子どもにご飯を食べさせて、お風呂にもジャブッと入れて、急いで寝かせないといけないのです。そういう女性達の、追いつめられた状況があります。
お母さんが働いている場合、一番上の子の負担が大きいようです。学生に聞くと、母親が働いていて良かったと言うのは2番目とか3番目の子です。1番目の子はすごく大変だったという人が多いです。大人になってからは、お母さんが働いていてとてもうれしい、同じように話ができていいと思う、という意見が多いです。一番目の子というのは、下の子の面倒もみないといけないし、すごく責任感を感じているようです。
暗黙の中に自分に課せられているものを感じるのでしょうね。私が以前に聞いた話ですが、お母さんの背中に抱きつきたかったけどできなかったと言ったお子さんもいました。「お母さんの背中が燃えているみたい、触ったらジュッと音がするような、「お母さん」って抱きつきたかったけど、お母さんの背中は燃えているようでできなかった。」というのです。あまりに一生懸命なのを、子どもは子どもで感じていたのです。
その子のお母さんは、「それを聞いて涙が止まらなくなった。」そうです。その人は保育者なのですが、働いているからといって手を抜けないと思い、食事やおやつはできるだけ手作りにしてきたそうです。その一生懸命さが全身に出ていたわけです。働く女性は多かれ少なかれ、そういう頑張っている姿を見せているので、子どもは甘えられないのかもしれません。
だからといって、私は、子どもに申し訳ないと思うことはないと思っています。それぞれの家庭の事情を、それぞれが受け入れながら生きていかなければいけません。どんなに幸せそうに思えても、何かしら家庭にはありますから、自分の家庭を受け入れていかなければいけません。今はシングルマザーの人もいますし、いろいろな家庭がありますから、いろいろな事情に負い目を感じないでいいと思います。だんだん社会も受け入れるようになってきたと思いますが、こういう複雑になった社会生活を、大人がまず受け入れないと、子どもも大変なんです。
「子どもを本気にさせたい」という思い出
保育の思い出としては、子どもを本気にさせたいと思った時期があることです。幼稚園では歌を歌ったり絵を描いたりするのですが、「子どもが本気になるものって何だろう」ということを、ずっと探っていた時期があります。その時に、本当に自分達が使える物を作ろうと思い、織物をしたり、畑や田んぼを作り、お米を作ったりしました。畑を作る段階で、土をこして、焼き物も作りました。そういうことをした時期があります。

それが保育としていいかどうか、私はわからないのですが、子どもを本気にさせる、そうすると母親達も、子ども達が生きている、その事を本気になって考えてくれます。なんとなくふわーとした絵空事の幼稚園ではなくて、そこで子どもが本当に生きていて、夢中になってやっている、そういう姿を親にも見て欲しいと思いました。親もそういう姿を見ると、自分は本当に本気になって生きているだろうかと考えます。子どもと毎日無我夢中で、朝から晩まで、お弁当を食べるのを忘れるくらいいろいろなことをしたことが私の保育歴では一番の思い出です。ただそれが、幼児教育にふさわしかったかどうか、私としては検証しなければいけないのですが。先生が歌を歌いましょうと言うから歌うというようなことではないのです。子どもが帰ることも忘れるくらい本気になってその事に集中して、できないかもしれないけどやってみたいというものを目指しました。時間がきたから帰らないといけないけど、「先生、これ触らないでこのままにしておいて。」と言われました。私にとっては忘れられない思い出です。
幼稚園とは子どもと命まるごと一緒に、暮らしを作る
幼稚園というのは、毎日何か発見があります。子どもが何かを見つけてきます。自分の存在というのを、子ども達といる間は全く考えられないほど忙しく、ある意味では異常な世界といえます。教え子達が幼稚園を辞めて、他の仕事に就くと、「先生、保育って異常な世界ですよね。」って言うんです。脇目もふらずに、クラスの子ども達に、全身全霊で向かっていかなければならないからです。そういう仕事は他にないと思います。お手洗いに行く時間もないぐらいですし、食事も、子ども達が騒ぎだす前に5分くらいで食べ終わっていないといけないのです。自分のことを全く考える余裕がない仕事です。当園の先生達も、脇目もふらずにやっています。
やっぱり保育というのは自分が中心になって、その日を作り出す、非常にクリエイティブな仕事だと思えます。子ども達と自分とその日1日、何か作り出すんです。誰からも与えられるものではありません。そういう面白さが、この仕事を続けさせてしまうのでしょう。
その子どもの命まるごと預かっているという仕事。つまり子どもの命まるごとと自分が一緒に、そこで暮らしを創りだすのです。そこが全く他の仕事にはない面白さであり、大変さです。自分の存在を忘れるような、そういう1日があるというのは、この仕事だけではないかと思います。先生方の無我夢中な姿を見ながら、時には若さだけで走っている姿もありますが、やはり共感してしまいます。
子どもの命というのは、弱いけど、伸びていく強さがあります。保育を学んでいる学生たちに「今日あなたがパンツの穿き方を教えたとします。大きい穴から足を入れて、小さい穴に1本ずつ入れていく。裏表や上下や前後があるわけだから、子どもにとってはパンツを穿くというのは、大変なことなのです。いろいろな事を同時に理解して、しかも自分の身体を動かしてパンツを穿くわけです。今日正しく穿けたら、その人は死ぬまでパンツが穿けるのよ。こんなすごい仕事はないでしょう。お箸やスプーンを使うこともそうだし、そういうすごい仕事を今私はしているという誇りを感じてください。子どもは、自分が全身全霊でそれをやったことによって、一生忘れずにやれるわけです。そういうことに感動し、誇りを持ってこの仕事をして欲しい。」というと、学生たちは感動してくれました。三つ子の魂というけれど、魂だけではないのです。暮らし方全部を、この時に身につけて育っていくんです。
幼稚園でも、砂場でペットボトルに、大きいスプーンから砂を入れようと無我夢中でやっている子どもが、何回かやると諦めて、今度は小さいスプーンみたいなものを持ってくるのです。自分で考え試している。そこが素晴らしいのです。そういう姿が毎日見られ、見飽きないです。大人から見ると、一見無意味に見える、砂を容れ物から容れ物に移すという行為は、しかし、いろいろな生活の中に、知らないうちに役だっていくのです。将来に向かって、判断力とか、指先の技術とか、そういうものを同時に子どもは培っているのです。私は「子どもが、今していることの意味」を見つけなさいと先生達に言います。保育というものが段階的に子どもの育ちに沿っていけば、子どもは6才までにいろいろな能力を身につけていくことができると思います。応用能力をつけていくための基礎が大事だと思います。だからこの仕事は面白いのです。
社会参加するお母さんが増える中、古川園長先生のご意見は大変参考になります。これを機に男性・女性の役割を再度、各ご家庭でも見直してみるのもよい機会なのかもしれません。
2005年6月9日(木)宝仙学園幼稚園にて


