いのち
お宅では、動物を飼っていらっしゃいますか?
犬や猫、小鳥に金魚などでしょうか。
この小動物と、子どもとの関係について少し考えてみました。
子どもは、結構残酷なことをします。しましたと言ったほうがいいのでしょうか。
バッタの手足をむしったりした記憶はありませんか。
カエルのお尻からストローを突っ込んでふくらましたとか、蛇の皮をむいたという話を聞いたこともあります。
バッタ、カエル、へび。
この動物たちの大きさを考えてみてください。少しずつ大きくなっていきますね。そして、猫や、犬。
小さい子どもにとって、犬は、大きい生き物に映るかもしれません。
自分がその命をもてあそぶことができる生き物と、そうはいかない生き物。

子ども時代というのは、きっと命というものに対する認識がそれほどない時代なのでしょう。
しかし、バッタや蛙をいたずらしたり、オタマジャクシや、カブトムシやクチボソを飼ったりして、命のやり取りをするというか、命がこと切れる瞬間に立ち会う。自分が命を奪ってしまったことを感じるのでしょう。
そういう経験を小さい時にするのは、自分が命を左右できる大きさの動物です。
すなわち、バッタや蛙や、オタマジャクシ、などは、ものすごいたくさんいる。その中の一匹で命を学ぶのです。
そして、このような体験から、命の大切さを感じ、大きくなってその意味を書物や勉強から学ぶのです。体験があるから、学んだことにリアリティーがあるのです。
そして、一番命を感じるのは、おばあちゃんやおじいちゃんが亡くなることで、人の命について理屈ではなく現実に至るのでしょう。
おとなになると、体が大きくなりますから、命を左右できる命も大きな動物まで可能になります。しかし、そうなったときには、命を自分勝手に、むやみやたらに翻弄してはいけないということを理屈でも理解し、感覚的にも承認している状況になるのでしょう。
ですから、ハトや、カモなどにいたずらをしてしまう大人は命のことを小さい時に感じることができなかったのではないかと思うのです。
命のことがわかる、生きることがわかるためには、命を失うことを感じる必要があるのかもしれません。
映画、「おくりびと」の滝田洋二郎監督の講演を聞く機会がありました。
そのお話の中で、『死をとりあつかったゆえに生を考えた』とおっしゃっていました。
人はこのようにおとなになっていくのでしょう。
おとなになるということは、このように命の大切さや、世の中のルールを、ちゃんと体験的に腑に落ちた状態になることなのでしょうね。
これこそが、人間にとっての自然の摂理なのかもしれないと思うのです。


