新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(36)
悲しい「護国の鬼」
この放送で新渡戸は完璧なる日本軍国主義のイデオローグの役を演じている。満州事変はまぎれもない関東軍の謀略と侵略であり、「自己防衛の手段」などではなかった。新渡戸の否定する「国家政策の手段」であり、「外部征服」以外の何物でもなかった。どのように考えても「創造主から与えられた生命の保持のため」とは言えなかった。又、満州国はまぎれもない関東軍に操られた傀儡国家であった。パナマと同列に置いて弁護出来る筋のものではなかった。新渡戸は「日本のリベラルたちは、満州での軍事行動に賛成ではなかったが、海外からの脅威が及んできたとき、彼らは自国の名誉を守るために、その脅威と立ち向かい、同じ日本人として、軍人との間にある些細な争いをやめた」と、自分達の軍国主義弁護の理由を「海外からの脅威」に置いて自己弁護している。しかしこの主張も完全なる責任転嫁の論法である。むしろ新渡戸についていえば、「外部からの脅威」ではなく、「脅迫の影」のついた「内部からの脅威」によって自らの考えを変えたのではなかったか?又、日本のリベラル達は、新渡戸の言っているように、「眼をえぐり出される」ことによって軍部に従属させられたのではなかったか?
新渡戸の日本弁護の放送演説は、レトリックから見ればほぼ完璧に近い出来のものであった。しかしここでは彼が満州事変勃発時、編集余録で述べた次の文章が思い返される。「個人であれ国家であれ、口先の言葉によって、正しい事を誤りと証明し、誤りを正しいと証明することができるとするなら、それは大まちがいである。宣伝はしばしば、黒をしばらく白と見えさせる力をもっていることが多い。しかし、現実と真実は断固たる真理であって、これは、雄弁によってどれほど損われあいまいにされようと、いかなる言葉も永遠にこれを変えることはできない。」新渡戸は言う。「愛国心は、すべての国民を偽善者とする。集団的良心はわれわれすべてを老いぼれにし、頓馬 dotarde and dullards にする。」と。彼は自らの日本弁護の空しさと愚かしさを半ば知っていた。そこには、愛国心に良心を売り渡した、悲しい「護国の鬼」と化した新渡戸が立っていた。
“Poor old Nitobe”彼の母国は彼の弁護に値しなかった。
Photo by 飯田純一
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- 第35回 ボルシェビキ・ロシアの餌食となって…
- 第34回 「第三者の干渉のゆえに」
- 第33回 「満州事変は自己防衛」
- 第32回 「愛国心は国民を偽善者とする」
- 第31回 満州国は傀儡である、と
- 第30回 “Poor Old Nitobe”
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