新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(28)
五・一五事件
今回の新渡戸のアメリカ訪問は、何時ものように新渡戸が考え抜いた末に下した理性的決断ではなかった。周囲の事情から止むをえず下した決断であった。彼の心はいかにも気乗りしなかった。しかし彼は今回の説得旅行は自分の私利私欲のために行くのではない、自分の愛する日本のために行くのであると考え、自らを鼓舞したのだった。しかし自分の良心の命令に従って行くのではなく、軍国主義日本の弁護のために行く。心の整理はつけたけれども、新渡戸の心は暗く大きな矛盾に打ち沈んでいた。
新渡戸がアメリカに上陸してからそう日のたたない1932年5月15日、海軍中尉古賀清志、同三上卓らが首相官邸を襲撃、犬養毅首相を射殺した。軍事クーデターである。古賀らは荒木貞夫陸相の政権樹立を目指していた。「わが国を滅ぼすものは共産党か軍閥……今では軍閥」と考えていた新渡戸にとっても、驚天動地のことだったに違いない。事件のショックの未だ冷めやらぬ6月1日、新渡戸は出渕駐米大使と共にホワイトハウスのフーバー大統領を訪れた。大統領は、日本の暗殺事件に「仰天した」と告げた後に新渡戸に暗い顔でこう聞いた。
「犬養首相の死によって、あなたがたのお国は、国内・国際政治の堪能で有能な公僕の一人を失われたのです。あなたたちの指導的思想家は、将来お国をどうするおつもりなのでしょうか。」

Photo by 飯田純一
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- 渡戸稲造晩年の苦悩
−憂国と愛国の間で− - 第36回 悲しい「護国の鬼」
- 第35回 ボルシェビキ・ロシアの餌食となって…
- 第34回 「第三者の干渉のゆえに」
- 第33回 「満州事変は自己防衛」
- 第32回 「愛国心は国民を偽善者とする」
- 第31回 満州国は傀儡である、と
- 第30回 “Poor Old Nitobe”
- 第29回 スチムソン会見
- 第28回 五・一五事件
- 第27回 行け、汝の内なる光を頼りに
- 第26回 盲目の指導者たち
- 第25回 盲人が盲人の手を引く
- 第24回 アメリカへ
- 第23回 忍ぶ心は神は知るらん
- 第22回 古への目ざめし人の跡見れば
- 第21回 森垣太郎への手紙
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