新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(26)
盲目の指導者たち
429 盲目の指導者たち
32・4・29
盲目の指導者達が、自分についてくる人々を誤り導くのに使う方法は、一つだけではない。しばしば使われる最も非人間的な方法は、見える人たちの眼をえぐり出すことである。当然これは最も痛みのはげしいやり方であるが、盲目の指導者たちは、自分ではそれが見えないものだから、良心の痛みを覚えないのである。
もっと一般に使われる緩い方法は、服従に嫌気を示す人たちに目隠しをすることである。この目的のためには、被害者の気質に応じて、いろんな種類の材料が選ばれる。柔かな絹のガーゼが好きな人もあれば、どっしりした刺繍のある錦織が好きな人もいる。硬いボール紙ならすすんで目隠しされてもよい人も多いようだ。空虚な命令の音が好きだったり、あるいは追従の言葉が好きなために、視覚を喜んで犠牲にする人たちも少なくない。
このことにこだわる気持ちが強かったためであろう。新渡戸はそのあくる日も盲目の指導者と盲目の追従者(followers 国民のこと─福原)について書いている。盲目の指導者が追従者達に使う最も非人間的な方法は「見える人たちの眼をえぐりだすこと」である。当然このやり方は痛みを伴う。しかし盲目の指導者たちは、自分ではそれが見えないので、良心の痛みに苛まれることはない。折しも日本ではこの日の前日、4月28日、東京地方裁判所は河上肇に治安維持法違反の認定を下した。彼はこの記事を書きながら盲目の指導者として誰を頭に思い描いただろうか。陸軍大臣や海軍大臣か、あるいは「松山事件」の折、訪問を受けた左近司政三次官や永田鉄山軍事課長だったろうか。いずれにしてもそれは日本を軍国主義へと導く日本のリーダー達であった。新渡戸は軍国主義の指導者によって、他の自由主義者達のように、「眼をえぐり出」されはしなかったけれど、その口は大きく歪められその心は深く傷つけられていた。
Photo by 飯田純一
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