新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(25)
盲人が盲人の手を引く
428 眼の見える人たちには盲人に道をゆずらせよう
32・4・28
盲人が盲人の手引きをすれば二人とも溝に落ちると言われてきた。カーライルは盲人に、じっと座ってるがよいと忠告した。
厄介なのは、盲人は──指導者も導かれる者も──自分が盲であることをふつう知らないことである。たいてい彼らは、眼の見える同胞よりもっと良く見えるつもりでいる。だから、じっと座っているどころか、彼らは動き、歩き、走るのである。忠告には耳をかさない。
カーライルは、盲人にぶつからぬよう、眼明きの方に忠告をすべきであったろう。
眼に見える人たちに、盲人に道をゆずらせよう。そうすれば盲人達が溝に落ちても、眼の見える人が盲人を溝から引き上げて、それから三者(盲人と眼明きのこと、原文はall−福原)は静かに安全に歩いていける。
新渡戸から見れば現下の日本の状態は「盲人が盲人の手を引いている」状態であった。そして厄介なのは二人共、手を引く方も引かれる方も──即ち国家指導者も国民も──自分達が盲人であることを自覚していないことである。彼らは興奮していて眼明きの忠告に耳を貸さない。その場合、眼明きはどうするべきなのか?盲人達に溝に落ちないよう忠告すべきなのか? 新渡戸の結論はそうではなく、「眼の見える人たちに、盲人に道をゆずらせよう」というものであった。それは盲人達と衝突して一緒に溝に落ちるよりも良い。何故なら、盲人達が溝に落ちても、眼明きはその後盲人達を溝から助け上げることができるから。そしてその後盲人達は失敗に懲りておとなしくなるであろう。そうなった時点で盲人達も眼明きも、すべての人(三者)が静かに安全に歩いていける。新渡戸はそう考えた。新渡戸は日本の二人の盲人を説得すること、盲人と衝突することを断念した。「盲人に道をゆずる」ことを心に決めたのである。

Photo by 飯田純一
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