新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(24)
アメリカへ
「松山事件」が一応の落着を見た1932年4月14日、新渡戸は妻のマリーと共にアメリカへ向け横浜港を後にした。大勢の見送り客の中に、元外務大臣幣原喜重郎の姿もあった。国際協調、経済外交、内政不干渉を掲げる幣原外交の時代は既に終わっていたが、幣原は新渡戸のアメリカ説得の試みに一縷の望みを託したものと思われる。新渡戸稲造は4月27日サンフランシスコ港に到着するが、その翌日と翌々日「アメリカで学びつつあること」(1932年4月14日から33年の3月24日まで編集余録はこう名前が変わる)に盲人の話をニ題のせる。太平洋上の二週間の旅の間中、彼の頭を離れなかったのは日本のこと、就中自分の本心を語ったが為に、生まれて始めて公衆の面前で自らの非を陳謝しなければならなかった「松山事件」のことであった。軍国主義の指導者達とそれに迎合する国民を前にして、自分はいったい今後どうしたら良いのか? 満州事変や上海事変についての自分の認識はほぼ間違ってはいない。しかし自分の良心に従って抗うべきなのか、それとも不本意でも道を譲るべきなのか? 二週間の船の上での苦悩の末、アメリカ大陸を目の前にして新渡戸は自分の気持ちに整理をつけたのだった。「嵐が過ぎるのを待とう」、彼はそう心に決めた。

Photo by 飯田純一
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- 渡戸稲造晩年の苦悩
−憂国と愛国の間で− - 第36回 悲しい「護国の鬼」
- 第35回 ボルシェビキ・ロシアの餌食となって…
- 第34回 「第三者の干渉のゆえに」
- 第33回 「満州事変は自己防衛」
- 第32回 「愛国心は国民を偽善者とする」
- 第31回 満州国は傀儡である、と
- 第30回 “Poor Old Nitobe”
- 第29回 スチムソン会見
- 第28回 五・一五事件
- 第27回 行け、汝の内なる光を頼りに
- 第26回 盲目の指導者たち
- 第25回 盲人が盲人の手を引く
- 第24回 アメリカへ
- 第23回 忍ぶ心は神は知るらん
- 第22回 古への目ざめし人の跡見れば
- 第21回 森垣太郎への手紙
- 第20回 左近司談話
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