新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(19)
松山事件
新渡戸が「松山事件」によって苦しめられ、暗澹たる日々を送っていた1ヶ月余りの間に、日本社会は内外で激動の時代に入っていった。上海では日中両軍の激戦が続き、国内では民政党総裁井上準之助が2月9日、血盟団5人組の一人小沼正によって射殺された。井上は新渡戸が理事長を務める太平洋問題調査会の前任者であった。3月1日には関東軍指導の下に満州国政府の建国宣言が発せられ、同9日には宣統帝溥儀を執政に推戴して、満州国建国式と就任式が行なわれた。そして3月4日朝には三井本館前で三井財閥の総師団琢磨が血盟団の菱沼五郎によって射殺された。時代はテロリズムとファシズムの時代に入っていた。新渡戸邸にも刺客が押し入り、危険が新渡戸の身辺に及ぶようになる。
新渡戸の松山での発言が地元の『海南新聞』で報じられ、大きな社会的事件として人々の耳目を引くようになってきた2月27日、東京小石川の新渡戸邸を海軍次官左近司政三と陸軍省軍事課長永田鉄山が訪れた。二人は「松山講演」の件について新渡戸と懇談した。懇談後、左近司政三は次のような「左近司次官談話」を発表した。

Photo by 飯田純一


