新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(18)
ガリレオの如く
言うなれば、当時居留民や国民だけでなく政府も出先総領事も軍司令官も、完全に関東軍の謀略にのせられてしまっていた。その中で一人新渡戸稲造だけが事件の真実を見抜いていた。彼は言う。「支那がまず発砲したというのか? だから、三百代言的としか思えぬというのだ。」彼の烔眼はこの時事件の謀略性を見抜いていた。彼から見れば政府の声明は単なる詭弁にすぎなかった。しかしそれは単なる詭弁と言ってすませられる筋のものではなかった。それは巧妙に仕組まれた関東軍参謀、板垣征四郎の日本を軍国主義へ引きずり込む陰謀と謀略のシナリオだった。政府も軍部も新聞も、そして国民も、新渡戸を除いたすべての人々がその謀略を見抜けなかった。松山事件は「口は禍いの元」というような舌禍事件ではなかった。新渡戸が、ガリレオの如く、真実を語ったがために生じた事件であった。

Photo by 飯田純一
Back Number
- 渡戸稲造晩年の苦悩
−憂国と愛国の間で− - 「Warm Heart Lecture」バックナンバー
- 「Warm Heart Letter & Essay」を読む


