新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(16)
満州事変は当然のこと
この新渡戸発言の要旨は「満州事変については、われらの態度(即ち関東軍の行動)は当然のこと」であるが、「上海事件に対しては正当防衛とは申しかねる」、そして「上海事件に関する当局の声明はすべて三百代言的というほかならない」という点である。
実は従来の新渡戸稲造研究史の中では、この新渡戸発言の真の意味と、何故新渡戸がそのような発言をするに至ったかについての脈絡がつかまれていないように思う。そしてその結果、新渡戸稲造の真の姿が見えて来ない。まず満州事変について、「われらの態度は当然のことと思う」という発言についてであるが、前に見た通り、新渡戸は31年9月18日満州事変が起こった時点では、満州事変は「偽りの口実をもうけて始められた戦争」であり、関東軍の行動は「敏速この上ない行動でも、正義をその基礎としていない」「単なる軽業」か「ずるいごまかし」にすぎないと見ていた。彼の目は、この時点では、事態を正確に見ていた。しかし32年1月8日、昭和天皇が「満州事変ニ際シ関東軍ニ賜ハリタル勅語」で関東軍の謀略と侵略行為を「皇軍ノ威武ヲ中外ニ宣揚セリ」と賞賛した直後の1月12日には、新渡戸は「わが軍(関東軍)は迅速かつ勇敢に行動して、他の国から賞賛を博し、国民の感謝と尊敬を得た」とその考え方を180度変えたのであった。天皇に信を置く日本国民は天皇の「勅語」を信じた。新渡戸とて例外ではなかった。2月4日松山での「満州事変についてのわれらの(関東軍の)態度は当然のことと思う」という新渡戸の発言は、この脈絡の上で考えられるべき発言である。臣新渡戸としては前言を翻してでも、そう言わざるを得ない事情があった。

Photo by 飯田純一


