新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(15)
松山講演
新渡戸は上海事変の直後の2月4日、講演のため松山を訪れ、道後温泉の鮒屋旅館の一室で地元新聞記者を前に次のように語った。それはオフレコという条件で、であった。しかし翌日その内容は『海南新聞』に大きく報道され、新渡戸自身を大変苦しい立場におとしいれることとなった。世に「松山舌禍事件」といわれる事件の発端である。
「近頃、毎朝起きて新聞をみると、思わず暗い気持ちになってしまう。わが国を滅ぼすものは共産党か軍閥である。そのどちらが恐いかと問われたら、今では軍閥と答えねばなるまい。軍閥が極度に軍国主義を発揮すると、それにつれて共産党はその反動でますます勢いを増すだろう。共産主義思想はこのままでは漸次ひろがるであろう」
「国際連盟が認識不足だというのか? だが、いったい誰が国際連盟を認識不足にしたのか? 国際連盟の認識不足ということは、連盟本部が遠く離れているのだから、それはあるだろう。
しかし、日本としては当然、国際連盟に充分認識せしめる手段を講ずべきではなかったか? 上海事件に関する当局の声明はすべて三百代言的というほかはない。私は、満州事変については、われらの態度は当然のことと思う。しかし、上海事件に対しては正当防衛とは申しかねる。支那がまず発砲したというのか? だから、三百代言としか思えぬというのだ」

Photo by 飯田純一


