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駒大経済銀八教授のWarm Heart Lecture

銀八教授(福原好喜)のプロフィール

銀八教授の本

新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(14)

上海事変

1932年1月18日午後4時頃、上海の日本山妙法寺僧侶水上秀雄と信者4人が勤行中に、中国のタオル工場三友実業前で、数十人の中国人に襲撃されるという事件が起こった。5人のうち3人が重症を負い、僧侶水上秀雄は24日に死亡した。復讐のため居留民・青年同志会員30人が、20日午前3時頃、日本刀で武装し三友実業を襲い、放火した上中国人巡捕一人を斬殺、数名に重傷を負わせた。日本側も一人が射殺され、二人が重傷を負った。21日犬養首相は衆院の解散を行なった。そしてその翌日、政府は兵力増強を決定、28日までに巡洋艦2隻、特務艦1隻、駆逐艦12隻、陸戦隊925人を上海に送った。又上海の村井総領事は呉上海市長に、僧侶襲撃事件に関連して、「上海市長の陳謝」、「加害者の処罰」、「被害者の補償」、「抗日団体の解散」等の要求を提出した。要求が入れられない場合は帝国の権益擁護のため「適当と信ずる手段」をとるとの声明を発表した。28日午後3時、呉市長は、抗日団体の解散を含め、日本側の要求全部を承認する旨の回答を届けた。しかし塩沢第1遣外艦隊司令官は、午後8時、戒厳令施行により租界の警備に当たるとの布告を出し、午後11時20分、陸戦隊に出動命令を出した。同40分、装甲車を先頭に警備出動が開始された。そして中国の第19路軍の警備線内に重装備した陸戦隊が警告なしに突入、日中両軍の戦闘が開始され、激しい市街戦となっていった。翌29日、日本政府は「上海事件に関する政府声明」を発表、上海での抗日・排日運動が激化したため、日本人居留民の生命財産その他の権益を唯一の目的として、今回の海軍の行動となったのであり、「上海に対し何ら政治的野心は有していない」と述べた。

Photo by 飯田純一


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