新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(13)
二つの魂の矛盾
361 満州での出来事の教訓
32・1・12
満州での軍事作戦がやむとともに──そしてその終了を心から望むものだが──日本にとっては、責任の重かつ大なる時代が始まる。
その地点に駐屯しているわが軍は、確かに迅速かつ勇敢に行動して、他の国々の賞賛を博し、国民の感謝と尊敬を得たのであった。しかし、その機敏そのものによって、世界の疑惑をかきたててしまったので、わが軍の取った行動の必要かつ正しかったことを世界に判ってもらうには、長年かかることであろう。
かりに日本が平和愛好国としての評判を失うことがあるとしても、世界は、中国の人間としてまた国としての根本的弱体への洞察を得たのである。
中国についていえば──宣伝そのものが事実に基づかねばならぬゆえ、どんなに大声を立て耳をつんざく叫びをあげても、不正を正とすることはないことに気づくであろう。そして、自尊心のある国は、自分に代わって戦ってくれるよう他国に頼るわけにはいかぬことを悟るであろう。
水は分かれた。新しい水を引こう。もし中国と日本とが、同じ井戸で一緒に水を汲むとすれば、久しく沙漠としてさげすまれてきた全東洋を、バラのように花咲かせることができるのである。
ここでは天皇の「勅語」の意を体して、「その地点(満州)に駐屯しているわが軍(関東軍)は、迅速かつ勇敢に行動して、他の国々の賞賛を博し、国民の感謝を得た」(即ち「皇軍ノ威武ヲ中外ニ宣揚セリ」)のであった。そして「わが国のとった行動」は「必要かつ正しかった」ことになった。満州事変勃発時点での、この戦争についての新渡戸の認識は、この戦争は「偽りの口実をもうけて始められた」、「正義をその基礎としていない」戦争であった。しかしこの4ヶ月余り後に、新渡戸はその「事変」についての認識を大きく変えることになった。天皇の忠実な臣、新渡戸稲造は、天皇の意志に背くことは出来なかった。それは平和主義と愛国という二つの魂を内に抱いた新渡戸の苦悩と矛盾の始まりであった。この後新渡戸の言動は、覆うことの出来ない大きな矛盾の間を行き来することになる。

Photo by 飯田純一


