新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(12)
皇軍ノ威武ヲ中外ニ宣揚セリ
この4週間にも満たない短い期間の間に、天皇の考え方の上に何が起こったのか定かでないが、天皇の関東軍についての認識は180度の転換がなされていた。「勅語」では、あの統帥権干犯という罪を犯して、満州で謀略によって侵略を開始した関東軍は、「自衛ノ必要上」「匪賊ヲ掃蕩シ」「警備ノ任ヲ完ウシ」た皇軍となり、チチハル、錦州等の占領は「皇軍の威武ヲ中外ニ宣揚」したものとなった。天皇自ら「朕深ク其ノ忠烈ヲ嘉ス」ことによって、関東軍は天皇麾下の最も忠実な軍隊となった。この「勅語」は天皇が満州での関東軍の謀略、侵略行為を承認し、いやそればかりでなく、その侵略行為自体を「皇軍ノ威武ヲ中外ニ宣揚」する行為として嘉賞したものであった。この時点で昭和天皇は、その後幾度か世界平和を口にしながらも、歴史上日本軍国主義の主導者としての役割を担うことになる。天皇のお墨付きをえて関東軍中枢が、その侵略行為に一層の自信を深め勇を鼓したことは言うまでもない。この時以降、日本人は誰であれ、大陸の関東軍の侵略行為を批判することは許されざることとなった。犬養の陸軍軍紀回復の試みは立往生することになる。「勅語」が発せられて4日後の1月12日、新渡戸は編集余録に次のような文章をのせる。新渡戸も又「回れ右」をせざるを得なかった。

Photo by 飯田純一


