新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(10)
天皇の憂慮
「独立新満蒙国家」建設を目指す関東軍は、11月19日、黒龍江省の省都チチハルを占領、12月28日には錦州に進撃を開始、翌年1月3日にはこれを占領下に置いた。これで東3省は関東軍によって制圧された。これを見たアメリカ国務長官スチムソンは1月7日、「1928年、8月27日結ばれたパリ条約(不戦条約)の義務に違反する手段によってもたらされたいかなる状況も、条約も、協定も一切承認しない」、というスチムソン通告を日中両国に手交した。
若槻内閣が総辞職し、12月13日犬養毅に大命が降下された。その折、昭和天皇は元老西園寺公望に次のように述べた。
今日のような軍部の不統制ならびに横暴──要するに軍部が国政、外交に立ち入ってかくの如きまでに押し通すということは、国家のために頗る憂慮すべき事態である。自分は頗る深憂に堪えない。この自分の心配を心して、お前から充分犬養に含ましておいてくれ。その上で自分は犬養を呼ぼう。
この時までの昭和天皇は、軍部の暴走を心から憂慮し、満州での事態の不拡大に心を砕く「平和天皇」であった。軍部の横暴を厳しく見詰める新渡戸稲造と天皇の間には、その考え方において大きな懸隔はなかった。

Photo by 飯田純一


