新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(9)
幣原外交の終焉
新渡戸は10月9日、上海太平洋会議に出席するため神戸港を後にする。松葉杖を使い看護婦同伴であった。彼が日本を留守にした1ヶ月の間に、彼の母国は軍国主義への歩みを一層速める。
1931年10月、「三月事件」を起こした桜会は、事変の拡大を目指して、10月24日軍事クーデターによって首相官邸を急襲し、首相、閣僚を殺害、荒木貞夫中将を首班兼陸相とする内閣の実現を計画した。世に言う「十月事件」である。計画は未遂に終わったが、事件の影響は大きく、これによって若槻内閣は崩壊、不拡大方針を基調とする幣原外交に終止符が打たれた。12月13日新たに成立した犬養内閣は、荒木貞夫が陸相となり、満州事変に積極的に対応するようになる。一万余の関東軍に引きずられて日本は、軍国主義の途をひた走ることになる。

Photo by 飯田純一


