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駒大経済銀八教授のWarm Heart Lecture

銀八教授(福原好喜)のプロフィール

銀八教授の本

新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(8)

若槻内閣の対応

新渡戸は日本の将来を心配していた。彼の目は関東軍の専横によって軍国主義化の途を突き進む日本を見ていた。彼にはそれが「不安定で危なっかしいもの」に見えた。忠義と愛国の国日本は実は「腕だけあって頭のない身体のような」存在だった。

昭和天皇は当初、朝鮮軍2個師団の満州派遣を認めなかった。若槻首相は参内して派遣是非の問題としてではなく、朝鮮軍出兵の経費支出の問題として裁可を上奏した。天皇は「事態を拡大せぬという政府の決定した方針は至極妥当と思うから、その趣旨を徹底するよう努力せよ」との条件をつけて上奏を裁可した。若槻内閣は「事態を拡大せしめざることに極力努むるの方針」を決定し、9月24日「満州事変に関する政府第一次声明」を出して、日本が満州に領土的欲望を持たず、軍事占領はせず、「満鉄に対する側面よりの脅威を除」けば撤兵すると約束した。国際連盟理事会は、当初、日本政府の弁明ないし声明を了承し、問題解決を日中両国に要望して、日本に対して宥和的であった。しかし日本政府の不拡大方針に反して、関東軍は10月8日には張学良政府の錦州を爆撃するなど、軍事侵略を一層進めた。政府は現地軍をコントロールすることが出来なかった。

Photo by 飯田純一


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