「銀八教授の Warm Heart Letter & Essay」
1年間ご愛読ありがとうございました。
2007年1月からは「駒大経済銀八教授の Warm Heart Lecture」「新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−」として36回の連載が始まります。
アジアの諸外国から日本の戦争責任について様々な声が聞こえてきます。私をはじめ戦後生まれの人々は、戦争について、ほとんど学ばずに育ちました。戦後生まれの親御さんの子どもさん達も大人へと羽ばたきつつあります。60年余年の歳月の流れの中で今次大戦の原因について、国民の意識と反省の念が薄れつつあります。
今回、福原教授からのご提案で、農学者で教育者でもあり国際連盟事務次長も務めた新渡戸稲造を題材に「昭和恐慌後の日本は何を間違えたのか?近代日本悲劇の実像」を連載いたします。
「1年まえ組」を愛読いただいてありがたく存じます。
いろいろな皆さまのご意見、ご感想を是非「1年まえ組」にいただきたく、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2007年1月5日
「1年まえ組」担当 阪田洋子
新渡戸稲造晩年の苦悩−憂国と愛国の間で−(1)
激動の始まり
日本にとって昭和6年は激動の時代の始まりであった。本稿の意図は昭和6年以降の新渡戸稲造(1862−1933)の言動を追うことにとって、晩年の新渡戸稲造像を明確にしようとすることにある。新渡戸の晩年は苦悩の晩年であった。彼は、1933年10月15日、カナダ、バンフの太平洋会議出席の後、ヴィクトリアで客死するが、新渡戸の死は悲劇の死であった。彼は異郷の地で、はるか祖国の将来を案じながら失意のうちに世を去った。それは新渡戸個人の悲劇というよりは近代日本の悲劇と言うべきであった。

Photo by 飯田純一


