第22回 新渡戸稲造と唐人お吉
安政元年(1854年)日米和親条約が締結され、その2年後、伊豆下田、玉泉寺にアメリカ領事館がおかれた。初代総領事としてダウンゼント・ハリス(51歳)が赴任した。
下田奉行所は、斉藤お吉に侍女としてハリスに仕えるよう慫慂(しょうよう)する。お吉は断固拒絶する。お吉には鶴松という恋人がいた。奉行所は、鶴松に「侍に取り立てる」と言い聞かせ、お吉から身を引くよう言いくるめる。鶴松はお吉を棄てて江戸に発つ。許婚との仲を裂かれたお吉は泣く泣くハリスのもとへ行く。時に、お吉16歳、花は蕾であった。
カゴで行くのはお吉じゃないか。
下田港の春の雨
泣けばツバキの花が散る
お国のために"人柱"となったお吉を、村人達は、"ラシャメン"と呼んで蔑んだ。
日米修好通商条約がなり、ハリスは帰国する。ハリスと別れて後、お吉は数奇な人生を辿る。
「なんだお前は私を棄てた」、晩年一人飲み屋の柱に不自由な身をもたせかけ、初恋の相手を恨んで泣いたという。
お吉は明治24年3月25日、豪雨で増水した稲生沢川に御詠歌を唱えながら身を沈める。"ラシャメン"とかかわることは禁じられていたため、淵のほとりに上がったお吉の亡骸は、引き取り手がないまま3日間放置されていたという。
昭和8年、アメリカ説得の旅からいったん帰国した新渡戸稲造は、日米修好のために犠牲となったお吉を哀れんで、稲生沢川「お吉が淵」のほとりに、「お吉地蔵」を建て、彼女の霊を弔った。地蔵の側の説明板に、新渡戸の詠んだ歌が記されている。
から草の
浮き名の下に
枯れはてし
君がこころは
大和撫子
銃をもって声高に愛国を唱える人々は、実は自己の利害にとらわれた、偏狭固陋(へんきょうころう)の暴虐の徒にすぎなかった。言論をもって日米国民の理性に訴えんとした新渡戸稲造こそ、平和の使徒であり、真の意味の愛国者であった。しかし高まり行く軍靴の足音の前に、彼の声はかき消される。「われ太平洋のかけ橋とならん」という少年時代の夢は、両国の国家利害の対立の前に、音を立てて崩れていった。彼は、カナダバンフで行われた太平洋会議からの帰途、ヴィクトリアで病を得、失意のうちに世を去った。昭和8年、5・15事件の翌年、10月15日のことであった。それは彼の悲劇ではなく、日本の悲劇であった。その後、彼の母国はひたすら軍国主義の途を突き進んでいった。新渡戸稲造もまた日米修好の犠牲者であった。
敷島の
戦さの途に
抗いし
君がこころは
大和益荒男(ますらお)
客死した新渡戸は、自ら建立した「お吉地蔵」を我が目で見ることはなかった。
Photo by 飯田純一
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