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銀八教授のWarm Heart Letter & Essay

銀八教授(福原好喜)のプロフィール

銀八教授の本

第4回 阪神大震災と私−幻の広告

平成七年一月、私は駒澤大学教職員組合の第二十一期執行委員長として、大学経営側と対峙する立場にあった。私は教職員の給与・労働条件の改善のため、当局との交渉に全力を尽くしていたが、東側社会の崩壊の中で、労働運動は長期低迷期に入っていた。労働者の労働組合離れの中で、労働組合をどう立て直したらよいのか?労働運動のあるべき姿とは何か?

委員長就任以来、私の頭はこの問題から離れなかった。新しい時代の新しい労働組合運動とは何か?この問題に対する私の得た解答は「組合員のみならず、非組合員からも一目置かれ、尊敬される組合活動」であった。組合員のためだけの組合活動の時代は既に終わっていた。「組合の社会的貢献、とりわけ社会的弱者の救済に役立つ」、これが新米委員長のとった基本的活動方針であった。しかし私の指導する組合の執行委員会でさえ、昔の考えから容易には抜け出せなかった。

平成七年一月十七日、執行委員会、代議員会と組合の仕事に終日追われていため、私が阪神大震災のニュースを目にしたのは、夜、組合幹部と夜食を取りながらであった。炎につつまれる住宅地、崩壊した高層ビル群、横倒しの高速道路、黒煙を上げる工業団地。それは戦後五十年、日本人が初めて見る、野も哭く山も哭く地獄絵であった。最初、数百程度と見られていた死者の数は、三千、四千、五千と日を追って増大していった。それは関東大震災以来最大のの大地震であった。私の目には、戦後最大、最長の不況の中で、日本国民を襲った国難であると映じた。私は娘にボランティアで神戸に行くことを薦めた。ビルや家屋の下敷きになった人々の救出の遅れを案じ、自分も何とかして行くことができないかと検討した。自分は幸いパワー・シャベルの運転が出来る。人よりは役立つ筈だ。しかし定期試験の監督、採点、判定、加えて委員長の責務等、がんじがらめの雑務が私を縛った。

八朔(はっさく)私は委員長としても、一教員としても、又一農民としても、今の自分に出来る最大限のことをしようと決意した。私は大学から富浦の田舎へ帰ると、ワイフと二人、連日ミカン山へ行った。無農薬栽培の八朔(はっさく)が運よく収穫期を迎えていた。「救援物資はナマモノ禁止」という館山郵便局の宗方郵便課長に「八朔は四月、五月まで腐りません」と半ば嘘をついて、連日百キロ、二百キロを神戸対策本部、そして津名町、尼崎対策本部へと送った。山で箱詰めするため、枝のついたままであった。私の「買い占め」で、丸一青果市場のミカンの空き箱がなくなった。一・五トンを少し超えたところで私のミカン山のミカンは一個もなくなった。

私はミカンの収穫の合間に、学長へ電話を入れた。「組合は被災地救援の募金活動を行う。もし当局にその意思があるなら、一緒にやってもよい」。当時、組合と大学当局とは、年を越した冬期手当を巡ってつば競り合いの最中であったが、N学長は快く応じてきた。大学の中で学長と組合の委員長がタスキ掛けで、並んでマイクを握った。呉越同舟に通り掛った職員が目を丸くした。学生からは熱い反応があった。「先生、ご苦労様!」と声を掛けて来る学生。通る度に募金箱に喜捨する学生。私は胸がつまりながらも「メシ代は残しておけよ」としばしばたしなめた。日頃頼りないと思っていた若者への印象が確実に変わっていった。持てないほどの浄財は日本赤十字を通して被災地へ贈った。

私は「被災家庭の受験生の受験料、入学金、授業料の免除を理事会にかけて欲しい」と学長に申し入れた。学長からは「受験料、入学金の免除はできないが、授業料の減免を在校生、新入生に対して実施する」旨の返答があった。私は続いて、学生部所管の「扶養者死亡時学生に給付する奨学金」(月額五万円)を拡大解釈して、被災家庭の子弟に適用できないかと申し入れた。学長からは「あれは父兄会の基金を使っているものなので、自分の一存では決められないが、適用の方向で努力しよう」ということであった。

願書締め切りを数日後に控えた一月二十五日、私は学長に、主要三紙に以下のような広告を出して欲しいという全く新しい提案をした。但し「これは、組合の委員長や一教員からの提案としては、当局は、対応に困るであろうから、管轄の広報部長に起案してもらい、上に上げるから決済して欲しい」と伝えた。

被災家庭の受験生諸君へ
元気を出して下さい。本学は授業料減免と同時に、特別の奨学金を用意して諸君を応援します。
苦しくとも挫けないで下さい。願書は入試前日まで受け付けます。

駒澤大学・駒澤短期大学

駒沢大学のシンボル学長は一日だけ考えさせて欲しいと言った。翌日学長から電話があり、提案は残念ながら実行出来ない旨の返事があった。「(一)この問題で本学だけが突出する訳にはゆかない (二)現在、資金的余裕がない」というのがその理由であった。

駒澤大学は日本最古の伝統を持つ教育機関であるが、未だ国民の前にその真の姿を見せたことがない。僧侶養成機関として出発したが故に、総合大学となって半世紀を経た今日でも、何かしら抹香臭い大学と思われているフシがある。駒澤大学は言うまでもなく、創立以来仏教の精神を建学の理念としているが故に、阪神大震災こそは、わが大学が、被災地の受験生のみでなく、広く日本国民の前に、日頃の教育姿勢を示し、その慈悲に満ちた「仏の顔」を垣間見せる千載一遇のチャンスではなかったか、と。そして何よりも、この広告によって、何人かの受験生を、人生の挫折から救いえたのではなかったのか、と。震災記念日が巡って来ると、載らなかった「幻の広告」が悔やまれるのである。

Photo by 飯田純一


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