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銀八教授のWarm Heart Letter & Essay

銀八教授(福原好喜)のプロフィール

銀八教授の本

第3回 手向けの花

千葉県和田町花卉生産組合の副組合長、近藤裕二は、新幹線の窓から次々、後ろへと流れ去っていく冬枯れの景色を心配そうに眺めていた。東京駅で重い荷物を背負って、内房線から新幹線に乗り換えた時には、確信と期待でふくらんでいた彼の胸は、熱海を過ぎ、やがて浜松を通過する頃には、大きな不安によって占められていた。そして京都を過ぎたあたりからは、それははっきりした後悔の念へと変わっていった。

車窓来なければよかった。
あんな子供じみた大学の先生の言うことを真に受けてしまって……。
昔から「花より団子」と言うではないか。

彼は地元の花卉生産組合の二人の仲間と、ほぼ百キロの花を携えて神戸へと向かっていた。一月二十五日、和田中学で開かれたPTA主催の教育講演会で、K大学心理学教室のM助教授は、
「水や食料も大事ですが、被災者は心も傷つけられています。専門のケアの必要な人もいます。こんな時こそ、町の特産の花が送れたら、被災された人々の心がどんなにか癒されることでしょう」と語った。

近藤は正義感が強く、熱血漢でもあった。長狭高二年の時、足の不自由な女学生を追い回す酔漢を一発でホームに這わせたことがあった。講演の翌日、彼は独断で生産組合の農家へ回覧を回した。

組合では神戸へ見舞いの花を送ります。
咲いてしまったものでけっこうです。
明朝九時に集荷します。

急であったにも拘わらず、農家から切ったばかりのストックやガーベラ、金盞花が軽トラック山盛り二台分集まった。花の量は彼の予想より多かったが、彼には目算があった。「救援物資なら郵便局でタダで送れる。資材費はオレが出す」

夕方、山のような段ボール箱を持ち込んだ彼に、町の郵便局長は困惑顔で言った。

残念ながら花は救援物資では扱えません。
だいいち、現地で家のない人が花をもらっても困るのでは……。

<このワカラズヤの役立たず!テメェらには頼まねえ>

かくして彼は生産組合の二人の理事と新幹線の客となったのである。

大阪から神戸まで花を積んだボランティアの車は、ガレキの中を気が遠くなるほどノロノロと進んだ。

ようやく到着した中学校の体育館の空気は、八百名の避難民の出す体臭と息で澱んでいた。案内してくれた教頭先生がハンドマイクで呼びかけた。

千葉県の房総半島からはるばる、
花組合の理事さんが皆さんに、
お見舞いの花を届けに来られました。

窓際の花ガヤガヤが一瞬止まって大きなどよめきとなった。花を持った見舞いは彼らが初めてであった。三人は積まれた布団や手荷物の中を一人一人花を手渡して歩いた。深々と頭を下げる人、手を何度も握り返す人、頭の上に花をおし頂く人、様々であった。この十日余り、彼らは生きることに必死で花を愛でる余裕などなかった。しかし今、すべての人が花のあった昔の生活を思い出して、心の中で泣いていた。老婆のしわの奥に隠れた目に涙が光った。彼女に身寄りはなかった。身内をなくした人々は、粗末なテーブルの上に置かれた写真の前に花を置いて、手を合わせた。

<そうだ、ここの人々には、亡くなった肉親に供える花さえもなかったのだ>

房総半島の太平洋を望む段々畑で一足早い春を告げた、赤白黄、色とりどりの花々は、深い傷を負った被災地の人々の心を慰めたばかりでなく、M助教授の予測を超えて、避難所の遺影や、六甲下ろし吹きすさぶ廃墟の中で、小さな土饅頭の前に手向けられることによって、無念の死を遂げた多くの人々の心の慰めともなった。

Photo by 飯田純一


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