パリの秋は美しい。風が落葉を演出する。光もいい。朝は白。昼は青。夕暮れは褐色に彩られる。冬が隣に来る頃は、ゆうべくもない。モネの世界さえ思わせて・・・。
この秋、サロン・ドートンヌ、「こゝろの
」の個展、そしてサロン・ソシエと三つの展覧会のためにパリを訪ねた。人も、街も芸術の季節だった。サロン・ドートンヌはパリの東、ヴァンセンヌの森で催された。
風と落葉の奏でる、森の奥、褐色の光の中で、歴史に刻まれたサロンは始まっていた。作品は、ワインの香りのする、二つ目の会場にあった。<埜・凛・風>オーストラリアの原野をテーマにした作品。しばらく佇む。
1903年に開設されてから百余年、パリの秋を刻んできたサロン。この空間に、かつてモネやピカソといった、芸術家達の会話が在ったと思うと心も高鳴る。小さな、そして確かな感動が走る。しかし、しばらくして高揚した思いが静まると、回りの人の視線に、自分の眼に、我が作への、肯定と否定の感情を読み取っていた。そして、呟いた。「まだまだ」と・・・。禅では「未在」と言う。先師松井如流翁に学んだ言葉だ。宴の余韻を背に、次への、さらなる夢をふくらませ、サロンを後にした。ライトアップされたバンセンヌの古城、足下に舞う枯葉を楽しみながら・・・。
「こゝろの詩」の個展は、ノートルダムを背に、セーヌに浮かぶ、BATEAU・DAPHNÉだった。水の都ベェネツィアと日本の四季をテーマにした作品。セーヌの波にベェネツィアが重なって、効果的だった。レセプションではワイン片手に熱い会話が交錯する。

「東洋的なイメージが素敵です。白黒の調和。中間色が無いのに優しさが溢れているのは<いやし>だと思います。」多くの反響に感動。ワイングラスに喜びが浮かんでいた。
青い空の日。窓からノートルダム寺院が望めた。さそわれるように歩けば、薄墨色に創造された、空間に入る。ステンドグラスに、美しい賛美歌の響きが重なって、ナポレオンの戴冠式の絵を想像した。光と影。数々の栄光の歴史と時間に刻まれた光だ。
パリはこゝろを耕してくれる街だ。石畳みも、教会も、セーヌの波さえ、芸術的メッセージを発している。一人、たたずめば、「無為」の時となる。流れる時の移ろいを止め、無心にして、小さな存在を忘れた時、波の音も、風さえも語り掛けて来る。永遠の一瞬をほのめかして・・・。静かにこゝろを解き放す。
そして思った。人間、一番大切なのは「こゝろの耕し」だと。東横学園で行われている「こゝろの耕し」を思った。
学園では、創立者五島慶太翁の建てられた五つの「建学の精神」と、芸術により、「目と耳」の教育を施すという理念を継承し、これに基づき、Change&Challengeを合言葉に「思いやりの心を持ち、知性豊かで自立した品格のある女性」の育成をしている。そして高尚な品位・風格・創造力など、「こゝろ」の力を育成する教育、一人ひとりの豊かな「資質」を開発する教育が実践されている。生徒は、感動と発見、創造の時を重ね、輝き、生き生きと、はつらつと学んでいる。そして、五島美術館の源氏物語絵巻や寸松庵色紙が世界の芸術であるように、東横学園の「こゝろの教育」は今、開設された独自の「英留コース」と共に世界に向かって羽ばたいている。この岸を生徒が通りすぎて行く日も近い。
パリの思索はいつしか現実に戻っていた。
無為の時から。
プラタナスの葉がとめど無く舞う。遠くへ・・・、近くへ。ひととせの命のドラマを果し、一枚いちまい去って行く。「こゝろを耕す」風の詩を聞きながら。
2005/12/2 巴里随想より