江戸時代中期から続く伝統の舞で豊作祈願!

4月21日、大田区の天祖神社(大田区西嶺町)で、地元に残る伝統の舞「禰宜(ねぎ)の舞」が行われました。

「禰宜(ねぎ)」とは、現在では神職の位(宮司の次の役職)を意味していますが、16世紀頃までは神職の総称で、「禰宜の舞」とは、江戸時代中期から続くといわれる伝統の舞のこと。境内にゴザを敷き、そのまわりに注連縄(しめなわ)を張り、神膳矢、もち、笹などを供え、締め太鼓のお囃子にあわせて、天狗面や女面など5つの面を使い6つの舞を一人で演じます。太鼓の響きから別名「デデンコ舞」ともいわれています。

戦前(昭和15・16年頃まで)は、多摩川を中心に調布市から大田区六郷近辺まで、川の両岸の約20ヵ所でこの舞が舞われていたそうですが、今では、都内で残っているのは、天祖神社だけとなっています。

当日は、あいにくの曇り空となりましたが、地元の人など約70人がこの伝統の舞を見ようと神社に詰め掛け、厳かな雰囲気の中で行われる伝統の舞に、皆、真剣な表情で見入っていました。なかには、この舞を記録に収めようと、ビデオやカメラを手に訪れた人も大勢いました。

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舞い手は、川崎市の白幡八幡大神(川崎市宮前区平)の宮司 小泉直穂(ただほ)さん、そして太鼓を務めたのは宮司の甥の朝比奈信弥さん。この舞は、代々小泉家に伝わるものだそうで、直穂さんはその25代目となります。小泉家は、かつて川崎市や大田区など、広い範囲で神社の神主を代々務めてきたそうです。

例年訪れているという区内在住の女性は「友人を誘ってよく来ている。大きなお祭りではないが、このような珍しいお祭りがあるということをもっと多くの人に知ってもらえるとうれしい」と熱意を込めて語っていました。

<禰宜の舞>
6つの舞
・大祓詞 面はつけない舞
・猿田彦命舞(さるたひこのみことまい)
・天鈿女神舞(あめのうずめのみことまい)
・天児屋根命舞(あめのこやねのみことまい)
・彦火火出見命舞(ひこほほでみのみことまい)
・大山祇命舞(おおやまずみのみことまい)

◆この『禰宜の舞』の様子を、下記の番組で放送します。

地モトTVおかえり!TOKYO
5月8日(月)放送予定

午前7:00~、午後7:00~、午後10:00~

是非ご覧ください!